∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

『ぴあ』休刊

【最終号】


 あの『ぴあ(首都圏版)』が、先日発行された号で休刊することになりました。時代が変わり、情報はインターネットで、というファンが増えたのでしょう。残念ですが、これも雑誌の宿命。またひとつ「古き佳き時代に乾杯」と言わなければいけない雑誌が増えました。
 あれっ、『@ぴあ』も『チケットぴあ』もあるから雑誌がなくなってもいいかな? そんな声が聞こえてくるのは空耳でしょうか。


【大学時代】


 東京の大学に入り、中央線沿線のある街で暮らし始めた頃、僕は初めて『ぴあ』と出会いました。「東京にはこんな便利な雑誌があるんだ」というのが、初めて手に取った時の感想でしたが、それと同時に「こんなに映画館があるんだ」と、東京の映画事情に圧倒されそうになったことも覚えています。当時の僕は演劇系にあまり興味がなく、映画のページ中心で見ていましたが、これが演劇やライブまで興味を持っていたなら、どうなっていたことやら。きっと、予定表を見ただけで「おなかいっぱい」の状態に陥っていたと思います。
 実は、僕は大学時代に映画を1000本近く見ました。その時の相棒が『ぴあ』だったのです。
 東京で暮らしていると言っても、どこになにがあるのやら、まったく分からなかった時から、ある程度土地勘が出来て、フラフラと街歩きが出来るようになってからも『ぴあ』の映画情報と地図が頼りでした。


 僕の学生時代というとインターネットどころかビデオ・レンタルもない時代です。
 インターネットはアメリカが軍事用に研究していた頃で民間でその存在を知っている人さえ極めて少ない時代。コンピュータが「電子計算機」と呼ばれていた時代です。
 ビデオはというと、まだ1/2インチテープを使うカセットはソニー製しかなく、カセットの使えるカメラとしてソニーのベータカムコーダーが発表された時代。なによりも速報性が重視されるテレビのニュースでも、現像が必要なコダックのエクタクローム・フィルムを使っていました。
 ちなみに、大学で「新メディア=ビデオ」の実習では1/4インチのサウンドテープ記憶させるカメラを使っていました。もちろん、オープンテープです。
 当然、ビデオ・レンタルなんて存在しません。映画が見たいと思えば、映画館に行くしかなかったのです。それも、映画館が立てたスケジュールに沿って当然。見たい映画を手当たり次第に選べる今とはまったく環境が違っていました。こんな時代に集中して映画を見たいと思ったら『ぴあ』に頼るしか手はなかったと言っても言い過ぎではありません。


及川正通氏の表紙】


 その後、社会人になって仕事に忙殺されるようになり、映画館に行く時間もバイタリティもなくなって、すっかり映画からは遠ざかってしまいました。
 当時、書店で『ぴあ』の及川正通氏が描く表紙を見るたびに、大学時代のことを懐かしく思い出し、同時に青春時代のピークがちょっとだけ過去のものになったんだと実感していました。
 そう、あのエアブラシで描かれたイラストです。どんな映画人が表紙になっても、顔がやけに大きくて強烈な印象が残る作品です。ちなみに、僕は勝手に「後世に残したいイラスト集」だと定義付けてしまっています。


【時代は変わる】


 ひとつの時代が終わりました。時代から時代へ。重なり合いながらも時は過ぎ、新たなページを作っていきます。
 しかし名作は忘れられることなく人々の記憶の中に刻み込まれ、永遠の時を勝ち得ます。『ぴあ』もそのひとつでしょう。
 それぞれの人生のそれぞれの時に人と共に生きる雑誌。僕にとって『ぴあ』は青春時代の相棒のひとりでした。