∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

テレビの役割

【地上波デジタル】


 先日、テレビ放送は完全地デジ化しました。2日前のブログではそのことを書いたのですが……。
 その後、ツイッターなどを見ていると「テレビとの決別の日」とか「テレビを消して本を読もう」という書き込みがいくつかあることに気がつきました。それはそれでいいと思うのですが、テレビがあって当たり前の僕にとってはとても疑問なんです。


 この方たちは本当にテレビを見ないことにされたのでしょうか。


 確かに、今のテレビ番組はその場限りの笑いをふりまくバラエティ番組が多すぎて、時々うんざりすることもあります。どの局を選んでも、似たような仕掛けとおなじみの“芸人”さんばかり。本当のエンターテイメントと呼べるような番組はほんの少ししかないようです。


 でも、それと地デジとがどう関係するのでしょう。


 しかたなくか、選んでかどうかは分かりませんが、それでも「決別」された方も地デジ化されるまでは、テレビをご覧になっていたのではないでしょうか。あるいは逆に、3月11日以降の報道もご覧にならなかったのでしょうか。
 それにしては、見ていなければコメントのしようもないはずの「特定のキー局を対象にしたコメントが多かった」と思うのです。つまり、ニュースは選択してみるが、エンターテイメント系は見ないということではないでしょうか。
 ある程度の選択肢はあっても、それぞれ流れてくる情報は各局が個々の判断で「流し続けるもの」というのはテレビの宿命です。その上、専門知識を持たない“平均的な視聴者”相手にに放送するため、専門性が強いはずのテーマでも「広く浅く」薄められて構成されます。専門書や研究書を読むことや、高い問題意識を持っている人だけを対象にするセミナーなどと決定的に違うのがこの点ではないでしょうか。


 たとえば『朝まで生テレビ』のように相互通信的な試みに挑戦する番組もありますが、どうも消化不良に終わっているような気もします。
 地デジ化で当たり前になった「文字情報」も、ケータイの情報で充分な一般情報ばかり。どう考えても「とりあえず、これでいこう」と製作側が考えたとしか思えません。
 テレビ製作側だけがこんな状態かと言うと、そうも思えません。
 本や新聞やインターネットや直接的なコミュニケーションだけで、ニュースもエンターテイメントも含めた広義な意味での「健全な情報管理」が出来るほどシンプルな時代ではなくなっている今、テレビを活用しないということは、自ら情報弱者への道を選んでいると考えられないでしょうか。もっと柔軟に「情報の取捨選択」をすれば済むことではないでしょうか。番組内容が豊富なケーブルテレビだってあるのですから。


【テレビよ、変われ】


 コンテンツのレベルが低いからテレビは見ない。見てもらえないから、視聴率が計算できる番組に集中する。高い製作意識を持っていた製作者の意欲が下がる。「金太郎あめ」的な番組ばかりだからもう見ない。


 テレビは「負のスパイラル」に入り込んでいるのではないでしょうか。


 ふと思ったのですが、以前、雑誌の世界にもこんな現象があったように記憶しています。もちろん、今の雑誌の低迷状態はそんな簡単な問題ではありませんが。
 テレビ放送が始まって以来ずっと「テレビは見ない」とか「テレビは有害だ」という話題が絶えたことはありません。それでもテレビは変化を続け生き残ってきました。僕は、そんなテレビをずっと見てきました。これからも見続けます。もちろん、チャンネル・クルージングは続けますが。
 インターネットの有益さが実証され、広く利用されるようになった大震災。ハードウエアを変えなければ、これまで見ていたテレビがただの箱になってしまう地デジ化。
 こんな一大変革の年だからこそ、テレビという「インフラ」の速報性や巨大な影響力をもう一度見つめ直す絶好のチャンス。こんなふうに思っているのは僕だけでしょうか。


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