∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

チキンラーメン

【1958年8月25日】


 ある方から教えていただくまで、今日が日清食品チキンラーメン誕生の日だとは、まったく知りませんでした。
 僕は日清食品とはなんの御縁もないし、インスタント麺自身、よほどの事でないと食べません。でも、チキンラーメンには子供の頃の想い出が詰まっているように感じているのです。


 僕の子供時代。それは、今、思うと戦後の混乱期が収まりはじめ、ようやく日本の復興が軌道に乗り、同時に成長への足音が聞こえてきた時代です。神戸の三宮や元町の高架下には、進駐軍流れの商品を扱うお店も数多かったように記憶しています。初めて味わったマシュマロやキャンディもそんなお店で母が買ってくれたものでした。
 朝鮮戦争の頃でしょうか。米軍のヘリコプタ空母が神戸港に入港して一般公開された時には、今まで味わったことのない濃い味のオレオのクッキーが本物の牛乳と一緒にふるまわれ、こんな美味しいもの食べたことがないと感じたこともありました。


 国民全体にかろうじて食料が行き渡るようになった時代。近代化は工業分野での話で、一般的な食生活に近代化とか西洋化なんて到達していなかった時代。食事は家族全員で同じものを食べるのが当然で、一人前ずつ調理して食べるモノなんて想像もしなかった時代。そんな時代にチキンラーメンが登場したのです。
 

【ある日、母が】


 ある日、黄色と赤のストライプで彩られたビニル袋に入った「何か」を母が買ってきました。「ひよこの絵」が入っていたかどうかは覚えていませんが、チキンラーメンと大きく書いてあることだけは分かりました。
 どんなものか分からないまま、母が袋に書いてある作り方通りに作ってくれました。どんぶりに麺を入れ、お湯を注ぎ、蓋をして。3分待つようにと書いてありましたが、そんなの待てません。何度も蓋を開けて様子を確認し、その度にお湯の色が濃くなり、麺がほぐれ、いい香りがしてきたことを覚えています。
 母が食べ頃になったのを確認してから味見です。
 つい3分前まで、お湯だったものが濃い西洋風のスープになり、カチカチだった麺がツルツルでしなやかな食感に変わっています。
 淡白なものが当たり前だった時代のこと。劇的に「味のトビラ」が開かれた瞬間でした。世の中にはこんな美味しいものがあるんだと感動しました。夢中で食べました。でも、同時にこんなに味の濃いものはたくさん食べてはいけないのだろうという「未知へのものへの不安感」も感じたように覚えています。


【そして今】


 今ではインスタント麺は国民食の代表格。一年にどれだけ新製品が出てくるのか想像もつきません。どれも目新しい美味しさを追求した見事なものばかりです。
 でも、あの当時のチキンラーメンに敵うものはありません。
 生活環境も食生活も激変した今、あのチキンラーメンのようなライフスタイルそのものを急激に変えてしまう食品はもう出てこないでしょう。
 同時に、50年前の日本と同じようなスピードで世の中が変化していくこともないでしょう。日本全体の復興と成長という目標を達成するために、国民全体が一丸となっていた時代は、もうやってこないかも。本来なら今こそそんな時だとも思えるのですが。


 まずは「チキンラーメンの誕生時代」を想い出という引き出しに仕舞って。
 身体が震えてくるような「何か」が誕生することを期待しながら明日を迎えたいものです。あわよくば、そのモノ作りの現場に立ち会えれば幸運なのですが。


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