∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

宗教と差別

【9.11】


 10年前の9月11日、ニューヨークのワールドトレードセンターへ2機の旅客機が体当たりした。ペンタゴンにも1機。もう1機はニュージャージーで墜落した。
 ビン・ラディンを頂点にするイスラム過激派、アルカイダによるアメリカへのテロ攻撃である。
 この攻撃に対してアメリカはアルカイダ及びイスラム過激派の掃討、ビン・ラディンの殺害を目的とする反撃を開始した。そしてアフガニスタンは戦場になり、多くのイスラム教徒とアメリカ軍兵士の命が失われた。
 同時にアメリカではイスラム教徒に対する迫害とも言える差別が広まり、大半を占める穏健なイスラム教徒は偏見に耐えながらの生活を余儀なくされている。
 現在、アメリカはテロを防ぐために異常なほどの神経を使っている。日本に住む我々には想像できないほど、市民はテロに怯え、軍と政府はその多くを引き起こしてきたイスラム過激派のアンダーグラウンドな動きを探っている。
 アメリカは、もともとイスラム教徒を異教徒的に扱う国だが、あの事件さえなければ、これほどまで露骨な差別観には拡大しなかっただろう。そのため、アメリカは過激派やテロリストと穏健なイスラム教徒とを同一視せず、アンダーグラウンドに隠れた「アメリカ生まれのテロリズムの恐ろしさ」に焦点が当たるようなプロパガンダを行い始めている。


ピカドン


 66年前、広島と長崎に原子爆弾が投下され、文字通り、街は壊滅した。
 日本の敗戦を決定づける「ピカドン」の威力は想定外のものだったのだ。
 放射能の研究もまだ未熟だった頃のこと、即死状態でなくとも「黒い雨」を浴びると放射能被害を受けることが分かったのも後になってからだった。
 そして、徐々に放射能被害の実態が分かってくるにつれ、長期間に渡る対策が必要なことも判明してきた。いや、市民レベルにその実態が伝わってきたといったほうがいいだろう。あれから66年もの年月が過ぎたのに、原爆症対策に終わりがこないことを見ても、その被害の悲惨さが理解できる。
 同時に、放射能を浴びた市民たちへの言われなき偏見や差別が始まった。結婚や就職など人生の重大決定が必要になる場面での差別である。目で見る事の出来ない未知の脅威からの偏見や差別だと理解したいが、未知のものに対峙した時に絶対不可欠なはずの知識吸収や、正しい情報発信が決定的に欠けていたことこそ、それらの偏見や差別を生んだ原因だと確信している。



【3.11】


 あれほどの体験をし、フィールド・ワークで多くの治験データを獲得したにも関わらず、我々は原爆であれ、原子力発電所あれ、放射能がばら撒かれると甚大すぎる被害が出るという根本原理を知らされずに生活してきた。
 原子力発電所は安全で理想的な電力供給源であり、万一の場合でも、絶対に放射能が放出されることはないと教えられてきた。
 同時に、放射能は危険極まりないもので、それを浴びると一生その影響で苦しむことになるという危険性だけは知識として持ってきた。だが、それ以上の知識、つまり今必要とされている知識やその蓄積はまったく持ち合わせてこなかった。


【偏見と差別】


 宗教を背景としたテロリズム。無知から来る差別。隠されてきた真実。
 言われなき恐怖の中での生活を強いるテロリズム。未知なる恐怖から自らを守ろうとする放射能被害。余計な不安感を与えないようにという古典的な真実の隠蔽や事実の歪曲。
 テロと放射能は「未知なる恐怖」という側面でひとくくりにできるのではないだろうか。
 人は恐怖に直面した時、異常なほど防御体制を取る。しかし、それは真実の情報発信や教育やプロパガンダである程度は抑える事ができる。
 今、僕を含め日本に住む人間は、放射能に対する正しい知識を吸収し蓄積して、残念ながら放射能被害を受けてしまった人々や地域に対して出来る最大限のケアをするべき時ではないだろうか。
 状況を把握することなく、心情だけで判断し、言われなき差別観を持つことなどもってのほか。
 アメリカがテロに対してのプロパガンダを進めているのと同様に、日本も放射能に対する情宣を進めていかなければ、日本は「汚染国」だけでなく「言われなき差別を受け入れる国」になってしまうだろう。もう広島の悲劇は繰り返してはならない。


[309/1000]