∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

机上プラン優先から個性重視へ

【約40年ぶり】


 埼玉県の与野市に行きました。なんと約40年ぶり。昔は駅周辺も「田舎の駅前」、少し歩くと畑と民家が混在していたと記憶していたのですが、当然のように、一変していました。
 そこに暮らす人々にとっては長い時間の経過の中で発展したことなので、あまり感じないかもしれませんが、40年もご無沙汰していた僕にとっては「ここが与野?」と目はキョロキョロ、声はへー。変われば変わるものです。


【違和感】


 でも、しばらくすると「どうもおかしいな」と感じ始めました。というのも、どこかほかの街で見た風景と印象がそっくりなんです。特に埼玉県内の京浜東北線沿線の駅前とそっくり。なかには西川口のように賑やかな街もありますが、それ以外の街と比べると、規模の大小はあっても、どこか似ているのです。
 いつから、こんなに似てしまったのでしょうか。悪く言うと「金太郎飴」状態です。
 東京の下町をベースに暮らしてきた僕は、「街にはそれぞれの個性があって当然」と思っているのですが、ここではそんな思考は通用しないようです。
 おそらく、街の急速な発展を促すためには均一な街づくりが必要だったのでしょうが、それにしてもここまでグランドデザインを均一にする必要があったのか、と疑問に思ってしまいます。
 そう考え始めると、東京は電車の沿線別に印象が似ています。これまでは、きっと同じようなライフスタイルの人が集まってくるからだろうと漠然と思っていたのですが、この街を見ていると、考え方を変えないといけないと思い始めました。
 「人とその暮らし」より、机上のプランを優先した街づくりをはじめとして、あらゆる場面で「机上」が優先されてきたのではと、妙に勘ぐってしまいそうです。


【均一デザイン】


 僕たちはこの数十年間、街も服も、食べ物も何もかも均一で「右へならえ」のモノづくりや人づくりにまい進してきてしまったのでしょうか。個性よりも効率を優先した結果「金太郎飴」ばかり作りだしてきたのでしょうか。もしそうだとしたら、とても残念です。
 今はまだアンチテーゼでしかないかもしれませんが、少しでも「素敵な個性」が光る人や街やモノに注目していく時が来たのではないでしょうか。


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