∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

写真する時が来た?

【再会の時】
 以前、現場は違うものの同僚だった男が写真展を開くというので、懐かしさもあり、ふらりと広尾で開かれている会場まで出掛けました。個展会場で出会えれば、退職後、一度だけフリーの立場で仕事を一緒にしてから20年近く経った再会になります。
 会場に入るとすぐに彼も僕のことを思い出してくれたようです。僕は一見して「年取ったなあ」という思いを隠したまま、先ずは再会の言葉を掛け合います。それにしても彼が絵画から写真に自分の表現を広げていっていたとは知りませんでした。だからでしょうか。主張ある人間だけが醸し出す「しなやかだが、自信ある顔付き」をしています。
 久々に真剣に写真を観て、楽しい話をして。懐かしくもあり、刺激的でもある時間を過ごすことが出来ました。そしてその充実した時間の中で、僕の心の中に眠ったまま忘れていたものに火が点いたような気がしたのです。


表現者


 僕は社会へ出た時に自分の表現手段として積み上げてきた「写真」という手段を心の中に仕舞い込み、仕事に集中しようとしてきました。今でもその状態は続いています。
 しかし彼と話をしていると、もう一度「写真してみようかな」という思いと「自分に何かを表現することができるだろうか」という疑問がない交ぜになって頭の中を駆け巡り始めたのです。食べていくことと表現することという大きな差はあるものの、自分で起業しようと決心した時の「出来るかどうかの不安」に繋がるような気持ちに近いかもしれません。
 それでも、最初は小さなものだった「何かを表現することの素晴らしさをもう一度味わいたい」という気持ちは徐々に大きくしっかりとしたものになっていったようです。単細胞が何かの刺激を受けて細胞分裂を繰り返し始めたと言い換えてもいいでしょう。
 彼は自分にとっての写真表現はこれだろうと掴むまで10年近く撮り続けてきたと話してくれました。彼には絵画という表現手段がもともとあったのでこれだけの時間でたどり着いたのでしょうが、僕の場合はどうでしょう。もし本格的に始めるとすれば、一生を終えるまでに「自分の表現」を掴めるかどうか自信はありません。
 でも、やってみようと思います。これまで「時間がない」とか「余裕がない」とか「自分がやるべきことではない」と逃げてきた「写真する」あるいは「写真というメディアを使った表現」にトライしてみようと決心しました。
 まずはカメラを手にとってシャッターを押して。そこからトレーニング。いつの日か皆さんにお見せできる日を夢見ながら、自分の視線を探してみます。


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