【写真クラブ】
自宅にほど近い不忍池や谷中近辺では休日になると写真趣味のグループにいくつも出会います。たとえば民家の軒先や路地の花や猫たちの谷中風景や不忍池の渡り鳥を撮影されているようです。つまり「花鳥風月」の世界でしょう。
こんな皆さんだって「写真している」のだと思います。ですが「表現者」と言えるのでしょうか。どうも違うような気がします。彼らの写真は美しいものや可愛いものなどをカメラの性能を頼りに写し撮っているだけで、思想に裏打ちされた心象風景が存在しないと思えてしまうのです。
確かに写真は風景や人物をありのままに写し取る作業で成り立っている表現手段です。プロカメラマンだってありのままに撮影することに没頭することも多いはずです。しかし、彼らは、意識しているかどうかは別問題として、仕事としての写真と表現すること、そして家族の記念写真も、厳密に分けています。だからこそ、自己表現の舞台としての写真には、苦しみぬいて勝ち取った個人の経験に裏打ちされた哲学や思想、美意識が写し撮られているのではないでしょうか。
【では今、僕に出来ることは】
正直なところ、今の僕には何かを表現することは出来ません。自分とは何か、表現すべきものは、美意識は。思考経路も哲学の表出も、何もかもが数十年前に停止したままなのです。
どうすればいいのだろう、なんて考えません。もう一度、自分の視点や視線を鋭くしていくことから始めます。写真する行為に繋がるまでにはかなりの時間が掛かるかもしれません。ひょっとすると写真以外の表現手段で自己表現しようとするかもしれません。今のところ、まったく将来のことは白紙です。つまり、自分を磨きながら白紙に絵を描いていきます。
さてどうなるか。なんだか自分の将来のことを考えると楽しくなってきます。
それにしても、僕に「第一歩」を踏み出させてくれた彼には感謝感謝です。
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