∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

勤労感謝の日

【三代目】


 「三代目で身上を潰す」。大王製紙の御曹司の件はまさにこの言葉通りの様相を呈してきました。106億円という一般人にはイメージできないほどの金額を1年4カ月で摩ってしまったとのこと。しかも、個人所有の株券で清算するのでいいだろう、とも語っているとニュースでは伝えています。


 創業者が、創業者しか理解できない決意と熱意で作り上げ、大失敗すれば自ら責任を取り、それでも再び立ち上がった「血と汗と涙」の結晶が生んだ「多くの人々が結集して生きていける事業」「社会への貢献」「揺るぎない立場」そして「お金という利益」。
 非常に厳しい経営者だったと言われている2代目は、おそらく、そんな初代の働きを見ていたのでしょう。だからこそいっそう盛り上げることに注力したのではないでしょうか。
 あるいは、常に先代と比較される立場であり、自らのアイデンティティを確立させるためには、自ずと厳しくならざるを得なかった、と好意的な見方をしてもいいかもしれません。


 ところが、3代目ともなると「おじいちゃんに甘やかされた孫」そのもの。足りないものも、反対する人もなにもない世界で生まれ育っただけに、自分の行動は常に正しいとしか思えなかったのでしょう。
 ある意味、うらやましい限りの環境で育ったわけですが、そうやって刷り込まれた人生観が虚構の世界だったということも理解できなかったのでしょう。
 当然、育て方にも問題があったはず。しかし、時代と周囲の環境がそれに異を唱えることが出来なかったのでしょう。なにしろ、この世界に生きる人たちは「人は自分に従うもの」と本気で思っているフシがあるますから。


 「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり ぢつと手を見る」。石川啄木の短歌にあるような暮らしをしている人々が多く存在している現代でも、彼にとっては意識することもない別世界だったのでしょう。そしておそらく、これからもそうでしょう。


【それにしても】


 金融市場で大金を摩り、それを取り戻すためにバクチに手を染める。挙句の果てに身上を潰す。これも人生かもしれません。しかし、創業者がこの件を見ていたら、一族の恥というよりも、生きる価値なしと断罪するに違いありません。
 しかし、出されたコメントを聞くと、どうも「一族には諭されたが、すべて自分の意思で行った」と一族を守る言葉が出てくるばかり。一族からはコメントも出ていません。やはり彼らには創業者だけが知っていた「恥をかく時、腹をくくる時」という概念がないようです。つまり、一蓮托生の世界。これでは事件は解決しても環境や体質は変わらないでしょう。
 生活のために汗水たらして働いてきた人たちはどう感じているのでしょうか。利益を上げ、役員報酬株式配当という形で一族の資産を増やすために働いてきたとでも言われるのでしょうか。そんなわけはないと思っているのですが。因習的な会社構造を理解できていない僕には想像もつきません。
 
今日は「勤労感謝の日」。なのに「勤労とは下々のやるべきもの。その利益は存分に使い切る」と考えていた人がこんなにクローズアップされるとは思いもよりませんでした。
 これからどうなるか。刑事的な面より社会的、精神的な見方で見つめていきたいと思っています。


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