∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

落語家・立川談志

【天才の死】


 立川談志師匠が亡くなりました。死因は咽頭がん咽頭摘出の手術を施して命を繋ぐことが一般的ながんと聞いています。そんな重要な手術を師匠は断り、残された命のすべてを落語に捧げられたようです。
 表立ってはいませんが、おそらく、診断されたからの数カ月は、落語家として致命的な病気に罹っても落語を忘れなかった男の壮絶な生きざまが隠されているのでしょう。
 新作も演ずる話家ではなく、古典落語だけを演ずる落語家という栄誉ある芸の道を選んだ男。噂ではこれほどまでに古典落語を演じられる落語家はもう出ないのではないか、とまで言われています。


【ある暖かな夜】


 お笑いの聖地とまで言われる大阪からほど近い神戸で育った僕にとって子供の頃、「演芸」は吉本新喜劇であり、桂米朝桂三枝、あるいは明石家さんま阪神巨人の世界がすべてでした。時折見聞きする立川談志の芸は「江戸の話」そのもので、言葉もきつく、内容もハードすぎるもので、どうも好きにはなれませんでした。しかし、江戸情緒が残る地域での暮らしが長くなり、江戸好みの古典芸能の妙味が理解できるようになってからは、立川談志の話芸とは「背筋を伸ばして笑う芸」であり、江戸の粋人たちが思い描いた「粋や意気」の世界感を垣間見て楽しむものと思えるようになってきました。圧倒的な話芸の粋を楽しませてくれた柳家小さん師匠亡きあと、本来の江戸話芸は彼ひとりが演ずることのできるものとまで思うようになっていました。


 昨年だったでしょうか。それとも今年の春だったでしょう。もう定かではなくなってしまいましたが、ある暖かな夜、そんな談志師匠に根津界隈で出会いました。おそらく、お嬢さんとご一緒だったのでしょう。手を添えられながら、幾分弱り気味と見受けられるものの、しっかりと背筋を伸ばして歩かれていました。お声を掛けるのもはばかられ、そのまますれ違っただけで終わりましたが、あれが最後の出会いだったとは。実はその時、元気になられたようなので、もう一度話が聞けると期待していたのですが、その願いは叶わなくなってしまいました。


 笑いとは。江戸の粋とは。人間の性とは。その頂点を極めるべく精進を重ね、体現してきた師匠。これまで通り表面的には意気がってはいても、内心では無念だったはずと推察しています。ひょっとすると、声が出ないと分かった時点で落語家・立川談志の「死」を自覚されたのかもしれません。そして、それからは芸能人として、あるいは家庭人として人生を堪能されたものと願ってやみません。
 安らかにお眠りください。いつの日か師匠の生まれ変わりの名落語家が現れることを願いつつ、合掌。


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