∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

地震から数カ月

【神戸では】


 地震で破壊された街からガレキがある程度撤去され、早いところでは家も建ち始めた初夏だったと思います。小学校の時の同級生がテレビのインタビューに突然出てきました。卒業してから30年以上経ったというのに何故同級生か分かったかというと彼が珍しい名前の持ち主だったからですが、画面を見ると子供の頃の顔が映っています。そこまで暗いニュースばかりを見続けてきた僕はびっくりするやら懐かしいやら。あろうことか「U君か。元気でしたか。年取ったなあ」などとテレビに向かって生まれて初めて話しかけてしまいました。
 彼はあるエリアの商店会会長をやっていて、現状報告と観光誘致のためにインタビューを受けたようでした。
 まだ地震から数カ月ということで、表通りのガレキは撤去されたけれど、裏通りや権利関係で揉めている箇所などは地震の後そのものだった頃です。そんな状況の中、彼は切実な思いで誘致をしていました。
 ただ、僕にとっては説明よりも同窓会のような気持ちのほうが強く、生きていてよかったとホッとした気持ちになったことを覚えています。
 

 ちょうど同じ頃、勤めていた出版社で発行しているある雑誌で神戸の取材をしようという企画が持ち上がり、街の現状をよく知っている僕のところに神戸取材は可能だろうかという質問がきました。
 僕は「まだ駄目だ。あんな神戸を見せたくない」と取材に対して否定的な意見を伝えました。砂ぼこりが舞う静まり返った街を取材するなんて。きれいになった神戸以外は見てほしくないと思ったわけです。
 アーケードが無くなった三の宮センター街にはある程度人が戻ってきていました。南京町も活気が戻ってきていました。でも、地震の爪痕はそこかしこに見られるし、東遊園地にはガレキで人工の山が出来ていたし。どうしてこんな時に取材なんて話が出るんだと怒りまで覚えてしまいました。


【東北では】


 JR東日本の東北キャンペーン。あらゆるところで行われている復興支援セール。フラガールの舞台も再開目前。カップ麺にもご当地ラーメンが出ているようです。
 今、東北は復興へ動き始めました。そして、神戸の時に取材に否定的だった僕は間違っていたと反省もしています。できるだけ早くから観光、工業、農業などあらゆる角度から支援して「お金が動く」ようにすることも重要なファクターなんだと今では確信しています。
 言葉より行動で。ボランティアより観光で。「東北」という広いエリアが少しでも早く元気になるためにも東北へ訪れませんか。温泉、スキー、松島、牛タン……。あの地震さえなければ……。冬の東北にはほかでは味わえない魅力がありました。
 地震以降、僕も観光で訪れてはいませんがそろそろ考える時期が来ました。そうやって訪れるのも復興支援のひとつのカタチだと確信しています。


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