∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

復興への道

【神戸が変わった】


 地震から数年経った頃、地震直後に訪れた場所を何箇所か廻ってみました。
 各店が壁に出来た大きな亀裂を粘着テープでつなぎ合わせただけで営業していた東山市場は頑丈そうなビルに変わっています。行方不明だった母の友人を探しに訪れた湊川近辺は、まるで新興住宅街のように真新しい住宅が並ぶ街に変身。火災ですべてが無くなり、見たこともない風景が広がっていた僕が学んだ高校近辺も、新築の住宅や小綺麗な商店街に。元町も三宮もすっかりきれいに復旧して、楽しげに歩く人々で賑わいを見せていました。液状化で地盤が沈下してマンションやビルが浮きあがったように見えていたポートアイランドもすっかり修復が終わっていました。仮設住宅が並んでいた菊水町や長田も大きな公園を核とした新しい街になっていました。
 ただ残念なことに、バーやクラブ、スナックなどが密集していた阪急三宮から東門筋にいたるエリアは、まだ地権の問題があるのでしょうか、地震の時そのままで残っている商業ビルも何棟か残ったまま。僕が東京で暮らし始めるまで住んでいた千鳥町界隈にも何軒か更地のまま残っているところがあり、歯が抜けたような状態でした。


 こうやっていくつかの場所を廻って見て感じたのは「店は同じでも街は変わった。僕が生まれ育った神戸とは違う街になってしまった」という寂しくもあり、復興した安堵感もありという複雑な心情だけが残ってしまいました。でも、これでよかったのです。昔の神戸から変身して生き返ったのですから。
 「空襲より恐ろしい」と母が叫んだあの神戸。おそらく空襲から復興した時だって見違えるほどの変身を遂げたはずです。
 空襲から約50年。逆説的に考えると、美しい街になった神戸が形作られたのは空襲ですべてが灰燼に帰したからかもしれません。こうやって街は新しくなり、成長していくのでしょう。


【東北も変わる】


 津波で壊滅状態に陥ってしまった東北の沿岸地帯だって、神戸と同じように美しく住みやすい街に変身して復興する、と僕は確信しています。もちろん、今すぐではないでしょう。神戸のように地続きのエリアと違い、リアス式海岸に点在した街が多いエリアだから、神戸よりも時間が掛かるかもしれません。政治や企業倫理の問題が複雑に絡み合って余分な時間やストレスが掛かるかもしれません。もちろん、放射能という、なんとも厄介な問題も残るでしょう。でも、確実に復興するのです。
 おそらく自分たちが暮らしてきた街とは違う街になっているでしょう。でも、それでいいのだと思います。街は脱皮をしながら成長していくのですから。
 政府の決定が後手後手に回ったり、行政の対応がその場しのぎだったり見通しが悪かったりとあらゆる「ウミ」も出てくることでしょう。でも、確実に復興するのです。紆余曲折を繰り返しながら少しずつ復興し、気が付くと大きく変化していたということになるのです。
 これからの10年、20年。東北の変わり様を見守り続けましょう。


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