【春眠暁を覚えず】
春眠不覺曉 處處聞啼鳥 夜来風雨聲 花落知多少
──春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く 夜来風雨の声 花落つること知んぬ多少ぞ
「春の眠りは心地よいため、うっかりと寝過ごしてしまい、鳥が鳴き始める夜明けに気がつかない」。
孟浩然の『春暁』の最初の二行はこのように訳されることが多いのですがどうも違うようなのです。
実は、夜明けの時刻が早くなっていることを忘れないように、という話をある方からお聞きして、ハッとしました。春分の日を過ぎて夜明けは早くなり、日暮れは遅くなっているはず。だとすると……。
「春の夜明けは早く、それに気がつかないほどだ。もう鳥もさえずっている」。
こう読むと季節感も際立ち、自然との共生という意味合いまでも浮かび上がってきます。いつも通りの時間に起きても、冬とは違い、すでに明るくなっているし、夜明けとともにさえずり始める鳥たちがさえずっていても当然、ということです。
が、しかし。眠いです。ベッドの中のぬくもりが恋しいのです。さすがに中国の詩人は詩人は感性が違います。僕の場合は一年中この時間帯は「眠い」だけ。寝る時間が遅すぎるということはよく分かっています。しかし、なんともできないのです。生活リズムそのものを変えない限り、この睡魔との二人三脚は収まりそうにありません。たとえ夜明けが早くなろうとも「目をつむれば真っ暗になる」という僕だけが知っている法則に変わりはありません。
ということで、寝ます。おやすみなさい。
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