∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

ある男の死

金子哲雄氏】


 「流通ジャーナリスト」という目新しい名前を引っ提げて登場したコメンテイター、金子哲雄氏が亡くなって5日が過ぎました。
 初めてテレビで見た時は「また、胡散臭いのが出てきたぞ」と今思えば大変失礼な思いを抱いてしまったのですが、その後何度も見ているうちに「この人、アタリだね」に変わりました。値切りの方法、モノの選び方など、身近にあるものに知っているようで知らなかった“小売の法則”を浮かび上がらせてくれた人。僕は氏のことを、勝手ながら“経済エンターテナー”と言っていました。
 そんな氏が亡くなった時、なによりも驚いたのがご自分の葬儀に関してのセルフ・プロデュースでした。菩提寺になるお寺を決め、お墓を建て、葬儀社を選び出し、葬儀の式次第を決め、お別れの言葉を原稿としてまとめ……。おそらく喪主となる奥様が困ることがないよう金銭面の手配をしたり、葬儀の出席者を予定したりとなさったのでしょう。不謹慎ながら、ご自分の葬儀をひとつのイベントのように企画されたわけです。
 そして、そんな究極のセルフ・プロデュースのお通夜、告別式が終わりました。


 僕は氏の“死との向かい方”に考え込んでしまいました。はたしてここまで自分の死を見つめることができるだろうか。ここまでの“覚悟”ができるだろうか。ここまで冷静を装うことができるだろうか。ここまで参列者のことを第一に考えられるだろうか。
 すべて「否」でした。僕が死を宣告された時には、おそらく、死に怯え、恐れ、否定し、逃げようとすると思います。
 雑念ばかりの僕のこと、氏のように“悟りの境地”に至るなど出来るはずもないでしょう。考えれば考えるほど、よほどの勇気と信念がなければこの境地には達しないでしょう。
 そして僕は、そんな氏を遥かな高みにいた高貴な人と思うようになりました。同時に、そんな姿勢に少しでも近づけるようになるにはどうすればいいのかを追求すべきなのかと考え始めています。


 金子哲雄様、どうぞ安らかにお休みください。ご冥福をお祈りします。


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