【対峙する潔さ】
久々に「何もしない日曜日」になった今日。金子哲雄氏の死と自分の生きざまを比べていました。
ここまで潔く死と向き合うことが出来るのか、いや、立ち向かわねばいけないのか、考えれば考えるほど判らなくなっています。本当に死が直前に迫った時、死に対しての恐怖と対峙して、いわば“悟りを開いた宗教人”のような精神状態でいられるかどうか、まったく自信がありません。
そして考えれば考えるほど、氏が卓越したプロデュース感覚を持った人物だったと感じざるを得なくなっていきました。あれだけ世俗をターゲットにしていたのに、実は極めて高尚な精神世界に生きていたその凄さにも感服です。
そんな氏の生き様ざまに比べ、これまでの人生、凡人として生きてきた僕がそんな境地まで達するわけはないと諦めに似た気持ちさえ抱いてしまい……。
あと数十年経って本当に死を迎えることになった時、少なくとも「立つ鳥跡を濁さず」の精神で、見苦しくなく美しい引き際であるように今から準備しようと思いいたるのが精一杯。やはり凡人は凡人。しかも呑気さは天下一品という僕のこと、急ぎながらもノンビリと三途の川を目をした時のことを考えていくことにします。
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