∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

人の不幸に付け込む予算

【崩壊寸前】


 たとえば沖縄の道路整備や「もんじゅ」の整備、自衛隊の弾薬購入など東日本大震災の復興のために組まれたはずの復興予算が一見すると復興や大震災の予防とは関係がないように見える事業に使われていると大きな声で叫ばれるようになりました。各省庁の官僚たちがいかに理由づけをしても「こじ付け理論」で予算化したことが素人でも判るような流用だと僕は感じています。


 予算化のためには、たとえ詭弁であろうとも、ゴリ押しであろうとも、関係者への恫喝であろうとも、どんなことをしてでも成立させるという官僚ならではの哲学が働いた顕著な例といっても過言ではないと確信しています。
 が、しかし。役人の方法論を正して世論が納得する方向へ導く役目を負う国会議員は何をもってこの予算を通過させたのか、あるいは黙認してきたのかの真意を聞かせていただきたいのです。
 7月に予算化されて3カ月。当初から報道機関をはじめとして「おかしい」という声はちらほらと聞こえていました。報道関係者にはジャーナリズムの正義を掛けて可能な限り切りこんで欲しいところ。今回、報道関係者はニュースにするために我慢していたはずですから。“機は熟した”というところでしょう。


 それにしても、政権を担う民主党はここまで何をやっていたのでしょう。3年前「仕分け」で華々しく予算の無駄に切り込んでいったあの勢いはどこへいったのでしょう。内容を精査して予算化を承認した直接の関係者であるはずなのに、今や審議にも出席しないという異常事態です。
 知らぬ存ぜぬでは済まない事態。この事態を見越して多くの議員たちが離党していったのかと勘繰りたくもなってしまいます。衆議院過半数がどうこう言っているほど事は甘くないと思っています。
 同時に、政権が崩壊する前にはこうなるのかという時代の変わり目に立ち会っているようにも感じています。そこに所属する議員たちが避難されること必至な仕事は放棄して、力の無くなった所属団体からは逃げ出して、あらゆる手段を使って自己保身に走るという状態は見苦しいもの。法案成立時には、党議拘束が掛かっていたから止むを得なかったというような理由が陳腐に見えるほど情けない状態です。


 正直なところ、予算の適正化は世論誘導とそれによる政権担当者の自浄作用に期待するしかないのかないのかと諦めています。
 少なくとも「人の不幸に付け込む」ようなことだけは止めませんか。


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