∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

大切にしてきたこと

【一線を越える】


 『週刊朝日』の橋下氏攻撃記事が世に出て一週間近く経ちました。ファッション系の雑誌とはいえ、公けに言葉を発する立場にあった僕は、このニュースを知ってその卑劣さに怒り心頭。ここまでくると話題にもしたくないとまで感じていました。
 地域差別、血脈差別など言論人が決して悪用してはならないテーマをあえて武器にした手法は物議を引き起こすことは必至。当然部数は伸びるでしょう。しかし、この数十年、歴史的に根付いてしまっていた謂われなき差別感を払拭するために積み重ねてきた“公けの言論姿勢”は今回の発行ですべてが崩壊したと言っても過言ではありません。ここまですることにどれだけの価値があったのか、編集者としての見識が“負の位置”にあると思わざるを得ません。
 しかも橋下氏からの抗議を受けて数時間で「お詫び」を出し、2日目には関係各社からも「お詫び」が出るとは。出版人として自らの発行物に対しての自信や意地はなかったのでしょうか。それとも読者、広告クライアント、同業者からの批判などが重なったために「ここはゴメンしておこう」ということになったのでしょうか。自信をもって発行したものならここまで早い“ベタ降り”はないはず。少なくとも、正当な議論が交わせる編集方針を背景にしたやりとりがあってしかるべきではないでしょうか。これでは完売したからそれで良しと思われても致し方ないでしょう。
 多くの差別問題に直面して立ち位置を固めてきた朝日新聞出身の関係者も多いはずの出版社のはずなのに、なぜここまでの記事を書き、ここまで早く敗北宣言を出したのか。その信念を問いたいところです。 明日火曜日にはお詫び記事の載った号が出るでしょう。そこでそのようなコメントが発せられるのか、注目したいところです。
 今、僕は今回の騒動を記事の正誤や誤報、誇張などとはまったく違う次元で起きた事件だと判断しています。情けない。最低の出版人。関係者の猛省を“休刊ではなく廃刊”という形で表していただきたいとまで思っています。
 明日を期待します。


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