∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

学問の責任

【6人の地震学者】


 イタリアで6人の地震学者が禁錮6年の刑に処されたとのこと。2009年に起こったイタリア中部地震の際、群発地震を過小評価して充分な注意喚起を行わず被害を拡大させたのがその理由ということです。簡単に言うと「予想が外れたから刑務所に入れ」ということになるでしょう。
 ここでも「誇張して不安感を煽らない」ようにする意識が働いたのでしょうか。あるいは「想定外」だったのでしょうか。それとも学者としてもレベルの問題でしょうか。
 いずれにせよ、禁錮6年というのはかなり衝撃的な判決だと思います。日本では考えられないのでは。万一このような状態になるとしたら専門家の研究や調査の発表に差支えるのではとも思われます。


 が、しかし。日本にはイタリアの学者の数倍も誤った予報や判断をしてきた学者集団がいたはず。彼らは日本人の生活を大きく変える事故(いや事件?)の原因を「想定外」のものとして済ませてしまいました。そして我々もそれに異を唱えはしたもののそのまま。学問と経済性や政治力との力関係まで語られる中、結局は「止むを得なかった」で終わってしまいました。
 御用学者の集団が政財界の描く方向へ研究結果を導いて行ったと叫ぶ意見もありました。自らの学者生命を守るためには「安全宣言」を出さざるを得なかったという人もいました。
 そして誰ひとり「逮捕」は考えなかったと記憶しています。


 イタリア人が過激なのか、日本人が穏やか過ぎるのか。発想の原点がまったく違うのか。どうしても確たる判断はできません。しかし、少なくとも「危険性を伝える」ことの重要性と責任の重さを知っているのはイタリア人のほうだと思うのですが、いかがでしょう。


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