∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

あるプロ野球球団

阪神タイガースの日】


 今年のはじめ、ある球団の代表とその親会社の社主との確執からプロ野球界に大きな波紋が広がりました。当時、僕は文字通り憤慨、「何と汚い。社主は唯一神ではないし、代表も全能ではない。フロントが泥試合をするなんて!」と感じ、もう二度とプロ野球は見ないと心に決めました。
 その決心は揺らぐことなく今まで続き、スポーツニュースでプロ野球の場面になるとチャンネルを変えるようになりました。そして、その決心はよほどのことがない限り変わることはないと確信しています。


 が、しかし。今日だけはプロ野球のことを。
 1985年11月2日。我が阪神タイガース日本シリーズ西武ライオンズを4勝2敗で破り日本一になったのですから。


 開幕して間もないころ、対ジャイアンツ戦でバース、掛布、岡田の3連続ホームランがあった年です。また、シーズン終盤には当時の王監督が持つ年間のホームラン55本という記録を守らんがため、ジャイアンツの投手がバースを徹底的に敬遠、一切打つことが出来ないために記録は破れなかったという「小汚い」作戦まで登場した年でもあります。


 それでも、我が阪神タイガースは優勝しました。正直なところ「舞い上がり」ました。絶対にこんな日はこないだろうと思っていた日がやってきたのですから。残念ながら現在と同様、当時のタイガースファンも自虐的で「負けるのがタイガース流の野球、ファンの熱気だけは毎年優勝している」と思っている人がほとんどだったと思います。
 そんな“常負軍団”になり下がっていた阪神タイガースが日本一になったのです。こんな日がくるなんて信じられないと感じて当たり前でした。


 今日だけは『六甲おろし』のカラオケの映像にまでなっているあの日を思い出すことにします。と同時に、いつの日か新たな『六甲おろし』が吹くことをもう一度念じることにします。
 有名な阪神ファンだった藤本義一氏が安らかに眠るためにも来年こそは優勝してほしいもの。もしそうなれば僕の極私的「プロ野球封印」も解けるのではと感じています。


 来年こそ優勝。願いがかなう日が来ることを念じましょう。


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