∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

はしだのりひこさんの訃報に接して

ラジオ関西 電話リクエスト】

 先週、一世を風靡したはしだのりひこさんの訃報が伝えられ、数日前には告別式も行われました。遅ればせながら、慎んで哀悼の意を捧げます。

………

 僕にとって、はしだのりひこといえばフォーク・クルセダーズ。フォークルと言えば『帰ってきた酔っぱらい』。『帰ってきたヨッパライ』と言えばラジオ関西の電話リクエスト。電リクと言えば僕に洋楽の素晴らしさを教えてくれた番組。というように一連の流れの中で心のなかに刻み込まれています。

 中学生の頃、僕は毎晩7時になると「勉強する」と言いながら自分の机に向かい、ラジ関の電リクに集中していました。この番組はリスナーからの電話リクエストだけで洋楽を流し続けるという2時間番組でした。確か、ジャズ評論家のいそのてるを氏や映画評論家の浜村淳氏も日替わりのパーソナリティを務めていらしたと記憶しています。このような日はジャズや映画音楽が圧倒的に多かったわけです。
 ちなみに、神戸がジャズの街と言われるようになった背景にはこの番組の影響もあったと言っても過言ではないはずです。
 少なくとも、僕がスタンダードナンバーからメインストリームまで幅広く知り、のめり込めたのはこの番組のおかげだと思っています。

 洋楽のリスナーからのリクエストだけで構成し、局は選曲しない。こんな極限的な「しばり」を破ったのがデビューしたばかりのフォーク・クルセダーズでした。加藤和彦北山修はしだのりひこの3人が紡ぎ出した『帰ってきたヨッパライ』だけは番組のルールを破って紹介させてほしいというパーソナリティの呼びかけのあと流れてきた音はこれまでに聞いたことのなかったものでした。
 オリジナル音源を早回しにしたパロディのような歌詞とスローな語りが絶妙に混じり合った曲でしたが、一度聞いただけでノックダウンさせられるほどの衝撃的なインパクトを持った曲とでも言えばいいのか、とにかく「スゴイ」としか表現できないような曲だったことを覚えています。もちろん、次の日からはリクエスト曲の仲間入りを果たしたので毎日1回はこの曲を聞くことになったのです。
 その後、フォークルは事実上の放送自粛に追い込まれた『イムジン河』を朝鮮語と日本語で発表しましたが、僕がはじめて聞いた時はたしか朝鮮語だったのではないかと思っています。

 はしださんが亡くなったことから電リクの思い出へと、甚だしく記憶が飛躍しましたが、すべては年月の為せる技。洋楽以外は聞く耳を持っていなかった僕に日本のフォークの素晴らしさを教えてくれたフォーク・クルセダーズは「酔っぱらいに道を示した神様」だったと思っています。

 改めて、はしだのりひこさんの死を悼み、哀悼の意を捧げます。ありがとうございました。

[2597]