この続きはコーヒーと一緒に

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

「あの日から23年」──その日まであと2日

【聞こえてきた小さな声】

 「大した被害でもないのに大袈裟に言って義援金をせしめようとしているらしい」
 「知り合いが《家がおっちんした》と言ってたけど、家が座ったってどういう意味。気楽だなあ」
 「街が荒れているうえに警察が取り締まらないから暴行や強姦が蔓延してるらしいぞ」
 「役人たちは自分の家の片付けで忙しくて何もやってないらしい」

 これらの言葉は地震から2カ月ほどの間に耳にした言葉の一部です。

 状況は違いますが、東日本大震災が起こった時に聞いた「神戸? あの時のことは知らないけれど、あんなものとは比べものにならない」という言葉も同様に忘れられないひと言。
 思い出したくもない言葉ばかりですが、どうしても頭の片隅から消えてくれません。そんな言葉から知った「人の本性」について一気に吐き出して、今日を限りに忘れてしまうことにします。

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 人の本性は未曾有の事態に直面した時に露わになる。

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 地震の後、僕が神戸出身で母や親戚が被災したと知ってほとんどの方が優しく励ましてくれるなか、偏見に満ちた憶測や風説を囁く少数派の人もいました。
 なかには直接聞かされたものもありますが、そんな言葉ほど聞こえてくるもの。聞くたびに怒りで爆発しそうになりましたが、聞こえてきても一切無視するようにしたところ、気持ちが楽になったのを覚えています。

 報道関係者の姿勢にも苛立つものがありました。兵庫県知事が「本当にそうなのかどうか、見てから言ってくれ」というようなコメントを記者会見で発したのも当然だったと思います。偏見や先入観、あるいは定石で物事を判断する人が多かったのです。ちなみに元町の北に位置する県庁の窓は、ほとんどの建物が整理される数年後までブルーシートでカバーされたままでした。

 現実を見ることなく、憶測や風説をさも真実のように話したり、嘲笑を浴びせたり、優越感に浸ったりすることも「人の性」だとハッキリと判らせてくれたのも地震だったのかもしれません。

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 たとえば、性に合わない人間がいる時、その人物を中傷して周囲の人たちにその意見を流布しようとすることや、商売がたきの商品を攻撃して自らの優位性を確立させようとすることもあります。
 地震の時に聞こえた言葉は、それらとは違った世界でうごめいていた「もうひとつの人の性」だったのだと今では理解出来るようになっていますが、当時は我慢するためには無視するしかないと結論づけていたのです。

 当時感じていた「人は偏見や憶測で判断したり、脅威に感じたことには付和雷同して自分を納得させようとする姿勢」や「自己の判断力を越えたものには手が届く範囲にある意見に従い、実際に現実と直面するのを避けようとする」というが人の本性。避けようとしても避けられない性なのでしょう。

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 この時から僕の人生観は変わったのかもしれません。「人間不信」というよりも「人間とはそんなもの」と冷静に見られるようになった途端に気持ちが楽になったところをみると、こう考えるのが正しかったのでしょう。
 そして、もうひとつ。偏見に満ちた言葉を囁く人と同様、黙って距離を置くようになった人たちもその態度が語っていると思うようになったことも付け加えて起きたいと思います。

 神戸、そして東北。地震のダメージは、土地や建物以上に人にダメージとそれに耐える強さを与えてくれるものではないでしょうか。

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