∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

心頭滅却すれば火もまた涼し

【毎年、この時期になると思い出す言葉】

 この言葉、もともとは臨済宗の僧、快川紹喜が自ら修行を続けていた甲斐の国の恵林寺織田信長に攻められた時、火中に座ったまま死を選んだ時に発した言葉で、禅語とまでは言われないものの、解決不可能なほどの困難と向き合った時の悟りの境地を語ったものと伝えられています。
 意味としては、無念無想の境地に至れば火でも涼しく感じられるという教えが転じて、どんな苦痛でも心の持ち方次第でしのげるという境地を表していると言われています。

 ですが、僕は火もまた涼しという所だけが頭の中に残っているためか、真夏のもっとも暑い時期になるとこの言葉を思い出してしまうんです。
 暑すぎるようでも心静かに過ごせば涼しく感じられるはずだとばかり自分を言い聞かせているのですが、悟りの境地とは無縁の僕にとっては「暑いものは暑い。ここまで虐めなくてもいいんじゃないの」としか感じられません。暑い夏が大好きな僕もさすがに夏バテ気味です。

 この猛暑に負けずに、むしろ楽しんでしまえば、暑さと共存できるかも。ひょっとすると「遊んでしまう」ことこそ僕にとっての「心頭滅却」なのかもしれません。

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