この続きはコーヒーと一緒に

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 慣れほど怖いものはない ≡≡

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 人間誰しも置かれた環境に慣れてくるとそれがスタンダードになってくるもの。経済的な事情や仕事上の立場はいうに及ばず、人生のすべてに渡って今の暮らしが当たり前と感じるようになってくる。
 そうやって置かれた環境に慣れてくる、あるいは当然と感じるようになると生き様に安定感が生まれるものである。ところが、積極的で前向きな姿勢が失われたり、危機感への反応が鈍くなるというマイナスの側面も現れてくる

 今のコロナ禍はそんな“慣れ”に伴うマイナス面が強く現れているのではないだろうか。

 今日、東京の感染者が300人を超えた。報道によると2カ月半ぶりの増加だそうだ。しかも東京だけではなく、札幌や大阪などでもこれまで最大の感染者が出ている。
 もはや、他人事のように憂慮している程度では済まない数字になってきたといってもいい数字である。

 ウィルスが活性化すると言われている冬の訪れ、Go Toキャンペーンの定着、コロナと経済の共生など感染を誘引する要因が増えているのだから感染者が増えて当然という意見もあるだろう。しかしもっとも大きな要因は、多くの人達が“コロナに慣れた”ところにあるのではないだろうか。
 思い出してみよう。この春、緊急事態宣言が発表された当時の我々は何が起こっているのか把握出来ない状況に不安や恐怖を感じ、いわば言われるがままに予防策を取っていた。
 そんな姿勢があったからこそ、極端な感染拡大に陥いることもなく過ごしてきた。
 そして、いつの間にか“これが当たり前”と感じるようになってきていた。つまり“慣れ”のマイナス面がスタンダードと思うようになってきたわけだ。

 コロナ禍の第三波の気配が濃厚になってきた今、もう一度、不安や恐怖に立ち向かうための緊張感のなかで暮らす姿勢に戻ることが必要になってきたようだ。
 マスク、消毒、手洗い、密回避、行動制限……。苦しくて辛い選択だが、穏やかに暮らせる日が来るのを願うなら、やむを得ないと思うのだが、いかがだろう。

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