コロナ禍の息苦しさ
「新型コロナウィルスには感染がある一定のレベルを超えると急激に感染拡大する性質がある。フェーズが変わりつつある今、何の施策も講じなければ感染者が急増する」。
「より踏み込んだクラスター対応」「対話のある情報発信」「店舗や職場などでの感染防止策の確実な実践」「国際的な人の往来の再開に伴う取り組みの強化」「感染対策検証のための遺伝子解析の推進」が必要である。
「多言語の情報発信の充実や相談体制の新設で外国人対策を充実させる」「大学などと協力して大学生向けの啓発や情報発信を進める」。
コロナ対策にあたる政府分科会が今日発表した内容を要約すると概ねこうなるだろう。
おっしゃるとおり。ジワジワと感染者が増え、危機がそこまで迫っているのではと感じている人も多いはず。絶対確実な予防法や治療法がないなかでコロナと直面していればこんな提言が出るのも当然である。
しかし「まだ足りないの。これ以上どう注意すればいいの」と思う気持ちがあるのも事実。なんとも息苦しい世の中になったものである。
コロナと共存する生活様式が定着したのに従って、個人的な感覚で感染対策を決めてしまうことも多くなった。つまり「これくらいはいいんじゃない?」と言った具合いである。
こんな姿勢を感染症の専門家は「気の緩み」と判断しているのだろう。これまた、おっしゃるとおりの正論である。
強権で押さえつけず、個人の自覚に期待する。コロナを抑えなければ経済回復は望めない。こんな日本の事情や姿勢を考えればこうなるのだろうが、正直なところ“コロナはしんどい”と言いたくなってしまう。
マスクをし続けるのも息苦しいが、別の意味で、コロナと共存するのも息苦しいものである。“今がヤマ”と自分に言い聞かせて過ごす日々が終わるのは、いつのことだろう。
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