▲『清明の候』‥清浄明潔・桜散る
もう一度、ガマン・我慢。
マスク・手洗い・消毒
三密を避けてひとり静かに
大阪に続いて東京でも緊急事態宣言発出の要請が現実のものになってきた。率直な心境は「やむ無し!」である。
コロナ禍に陥って一年数カ月。コロナをそれほど意識しない人々は自己流の判断で感染を予防するワザを身に付けてきた。同時に、他人から表立った批判を浴びることのないギリギリの気の抜き方や、集団で開き直れば目立たないというワザも学習してきた。しかも、批判めいたことを指摘されても、たとえ言い訳に近いものだとしても、理論武装もしてきた。
いわば“こっそりのびのび”“赤信号みんなで渡れば怖くない”“だからなんなんだ”式のスタイルを身につけてきたわけだ。
そんな一部の人たちの行動様式を汲み取らず、客観性と性善説を貫いて出されたのがまん延防止措置だった。
厳しい指針が示されたのは飲食店のような店舗だけで、個々の人々に行動変容を強いるはずの指針はあくまでもお願いベース。つまり、聞き流しても差し支えないアナウンスばかりの措置である。
これでは意識の低い人たちから“ナメられる”のは当然である。
ワクチン接種が進まない今、感染拡大をストップさせ、以前の生活や経済状態を取り戻すいちばんの方法は個々人の感染予防への強い意識しかない。いわば、修験僧のような生活に甘んじるわけである。
次回の緊急事態宣言では、限界点に近づいてきた性善説を曲げてでも、意識の低い人に切り込んだ指針が出てきてもいいと思うんだが、どうだろう。
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