∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 全数把握の議論を聞いて ≡≡

単なる見直しでいいのか。
根本的な見直しが必要なのでは

 ここ数日、東京都の新型コロナウイルス新規感染者数が数千人単位で減少している。特に8月27日の8100人や8月28日の8900人という減少数は、検査数が減る土曜・日曜の数字とは言え、激減と言っても差し支えない数字である。ちなみに、この傾向はこれまで感染爆発を起こしていた都道府県でも顕著になっている。

 これまでの2年半、これほどその増減に一喜一憂した数字はない。だが、オミクロン株への置き代わりで無症状の罹患者が増えるにつれて、無検査で治ってしまった人も少なからず存在するようになった。つまり“新規感染者の全数”と言えなくなっていると考えるのが妥当だろう。誤解を恐れずに言うと、現在の数字は“おおよそ”でしかないわけだ。

 そんな「おおよその数字の取り扱い」を巡って国と地方自治体との間で混乱が起きている。
 医療のひっ迫を解消するため全数把握するかどうかは自治体に任せるとする国と、罹患者の立場に立つと、これでは無用な混乱を引き起こすと主張する自治体。どちらの言い分に合理性があるかどうかは、その立ち位置によって変わってくるだろう。

 しかし、どちらにしても“おおよそ”の数字を巡っての議論である。

 無症状の罹患者が増えたり、濃厚接触者の追跡が困難になって来た時期から、罹患者の絶対数は計測不可能になっているにも関わらず我々は「アバウトこれくらい」という数字を確実性の高い指数として採用してきたわけだ。

 後手に回ってばかりとは言え、コロナ禍への対応はそれなりに進化してきたはずだが、この“おおよそ”の数字をはじめとして、合理性が乏しかったり、矛盾があったりする施策が多いのではないだろうか。国の施策が正鵠を得たもので、かつ罹患者の立場に立ったものなら、もう少し誰もが納得できる対応が出来たのではないだろうか。国民へのアナウンスも変わっていたのではないだろうか。

 全数把握の見直しを議論するのもいいが、それだけでいいのだろうか。コロナ禍が始まったときからの施策や指針、あるいは公にしてこなかったエビデンスの公表など、対策そのものを見直すときが来ているのではないだろうか。
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[season12/0828/25:10]
処暑』‥酷暑が峠を越す頃。二百十日。台風シーズン到来。
photograph:matsuchiyama-shoden, taito city
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