文化財との付き合い方が変わる
11月5日。8月7日に開始された国立科学博物館のクラウドファウンディングが終了した。当初の目標は3ヵ月掛けて1億円を集るというものだったが、一日で目標を超え、結果的には56000件以上の支援者から9億円以上(915,915,000円)の支援金が集まった。
安堵と喜びと責任の重さ。カハクにとっては思いもよらない奇貨になったことは確実だ。
そんな結果を知って “カハクの奇跡に続け” とばかりに資金難に陥っていた博物館や寺院、公的施設などがクラファンに名乗り出ているのもうなずける。
まだ数件のようだが、もっと多くの “貧乏博物館” が名乗りを上げるのではと想像している。いや、ぜひ挑戦して欲しいと願っている。
ところで、この結果を国はどう認識しているのだろう。
「ああ、よかった」ではすまないだろう。なかには「決められた予算で保守できないのは何事だ」と内心では不快感を抱いている官僚もいるかもしれない。
今回のカハクの奇跡は、そもそも文化財や貴重な資料を守り、広く国民に知らしめるための予算自体に問題があったからこそ始まったものだ。カハクだって国の臨時予算があればこんなことはしなかったはずだ。「足りないから、国に頼らず、アイデアを出し合って自分たちで集めよう」と、国との摩擦も折り込みながら、いわば清水の舞台から飛び降りただけだ。
文化財保護には多額の資金がいる。たとえば入場料やミュージアムグッズの販売、ガイドツアーの開始程度の売上で補完できる金額ではない。一方で、いくら固定費を減らしたり、施設修理を最低限にしたりして支出を減らしても健全運営にはほど遠い。
真摯に運営している施設にとっての資金難は国民の利益を害する主たる要因であることに間違いはない。
今回のカハクの試みは従来からの文化財保護の姿勢を変えるファーストペンギンになるのではと私は考えている。
クラファンか、それともニューヨークのメトロポリタン美術館のような市民からの多寡を問わない寄付か。いずれにしても「一定以上は国に頼らない。保護と展示は市民が守る」という運営姿勢が当たり前になるのではないだろうか。
文化財は市民自らが守るという姿勢が求められる時代になったようだ。自分たちで支えているという意識が生まれればそれなりのプライドも出てくるだろう。
問題は保護臨時予算を組めない国と、新たな展示アイデアの提案など切磋琢磨を怠ってきた施設だろう。
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[season13┃07 Nov. 2023┃11:10 JST]
┃TOKYO : TIME YELLOW┃
matsutiyama shoden, asakusa taito city.
Photographed on 28 Nov. 2021