この続きはコーヒーと一緒に

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

パイプのけむり

とうとう、團伊玖磨先生の大作と同じタイトルを使ってしまった。全27巻。人、文学、音楽、植物などなど、ありとあらゆる人物像や事象を鋭い観察眼と秀逸な文章で綴った「超エッセイ」である。詳しくは早崎日出太がまとめられたwebページをご覧いただくことにして、僕にとっての「パイプのけむり」を。
團伊玖磨全仕事」http://t-webcity.com/~pipedan/other/danhyousi1.htm
来年は紙巻きたばこからパイプたばこに変えるか併用しようと思っている。15年ほど前、一度挑戦したことがあるのだが失敗したことがあるので、いわば再チャレンジである。けむりを口の中で止めて肺の中まで吸い込まないのがパイプの吸い方なのに、僕はすっかり肺まで吸い込んでいた。結果、息苦しくなるは、心臓は痛くなるは、頭はクラクラするは、という大騒ぎを毎日やってしまったのだ。
味も香りもいいのだが、いかんせんキツイ。吸い方も間違っていた。身体に悪いのは当然である。
そして今、もう一度チャレンジしてみたくなったのは、年齢を重ねるにつれたばこの量も劇的に減ったし、軽いたばこしか吸えなくなったのに「いい味」と「至福の時」を求めるようになったからかもしれない。
(ちなみに今も吸いながらこのブログを書いている)。
パイプたばこは、たばこの銘柄だけでなく、ブランデーなどを少し浸み込ませて「香り付け」するとまた違った味を楽しむことができる。もちろんパイプ自体、大きなものから小さなものまで集め始めると切りがないほどに多い。
つまり、完全に「個」の吸い方が出来るのがパイプたばこの魅力である。吸うたびに違った味わいが楽しめるといっても過言ではない。当然、シガーの楽しみ方とはまったく違う。
しかも、パイプには「手入れ」という吸い終わった後の儀式がある。この時間が重要なのだ。きちんと手入れすることで次に吸う時の味が決まるといってもいい大切な時間である。
ところで、僕の人生も再チャレンジで「いい味してる至福の時」を迎えることが出来ないものだろうか。たばこどころではない重大な問題である。
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