∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

年越し蕎麦こそ年末ならではの「食」

年末、それも12月31日は年越し蕎麦を食べることが習慣にしている人は数多い。ひとつの区切りの意味もあるのではないだろうか。
僕の場合は、ほぼ毎日のように蕎麦を食べているので、わざわざ年越しということもないのだが、それでも年末に食べる蕎麦には格別のものがある。ひとつには言い伝えどおり「細く長く達者に」の縁起担ぎだが、もうひとつ理由が活気である。蕎麦屋がいつも以上に活気に満ちていて食べていて、その活気が「元気の源」になって僕の中に入り込んでくるような気がするのだ。
年越し蕎麦で頼むのは、当然、盛り蕎麦とかけ蕎麦のコンビである。天ぷらもなにもいらない。蕎麦本来の味がストレートに伝わってくるところがいいのだ。もちろん、旨い不味いの違いはあるが、それでも「蕎麦屋の心意気」が一番伝わってくる。
最初は盛り蕎麦を。ツユは蕎麦の長さの半分ほどつければ充分。ネギは少しだけ。最後にツユに蕎麦湯を入れ、ネギとわさびを加えてグッと飲み干す。
次にかけ蕎麦を。最初はネギも入れない。蕎麦とツユの絡み合った味を楽しむ。三分の一ほど食べたところでネギを投入して、その風味が鼻腔をくすぐるのも蕎麦の味わいの重要な部分である。そして最後にわさびを入れて、かつおの風味を軽くして、そこまでとはまったく違った味を楽しむ。
と、こんな食べ方をしているのだが、ここまでで数分しか掛けない。とにかく蕎麦が伸びないうちに、のどごしも味わうためには、とにかく早く食べることが大事だと思うのだ。
あまり言いたくないが、蕎麦屋で携帯を見ながらゆるゆるな食べ方をしている人を見ると「食べ物の味が分からず、分かろうともしないヤボ」と思ってしまう。
ところで、蕎麦を食べることを「手繰る(たぐる)」ということがある。江戸時代から伝わる落語言葉で、どちらかと言うと隠語なのだが、僕はこの言葉が好きである。長い蕎麦をたぐりながら啜っていく情景まで表現しているようで美味しさまで伝わってくる。
今年もあと2日。さあ、あと2回、年越し蕎麦を手繰ることにしよう。
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