∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

絶対的おせち料理ってあるのか

ユダヤ教のコーシャー食材やイスラム教のハラル食材のように宗教の戒律に基づいた食材や食品を食べることと違い、日本の「おせち料理」は純粋に縁起もの食材を集め、一年の始まりに相応しく盛りつけたものである。
たとえば、黒豆=「まめに働く」や、数の子=「子孫繁栄」のように、語呂合わせや連想イメージで選び出されたものばかり。もともとは季節の変わり目とされる「節」に、神様にお供えをして宴を開くという宮中行事で用いられていた料理らしいのだが、いまではお正月の保存食としてのイメージしかなくなっている。
今では洋風、中華風とバリエーションも豊かになったが、純日本風と違いコールドフードだけでまとめることが難しいのか、どうしてもバランスに難有りという感じが付きまとう。
飽きてしまったが、それでも「おせち」。いわば3日間続くパーティ用の保存食と言ってもいいものに日本人は異常なくらい神経を使う。品数や品目はともかくとして、「おせち」のない正月の食卓なんて考えられないと言ってもいいだろう。
今、ネット上では「ウソつきおせち」や「届かなかったおせち」問題が駆け巡り、炎上やシャットダウン状態になっているが、これも「おせち」偏重から出てきた社会問題なのかもしれない。
ところで、僕は2日までしか我慢できないのだ。実は「油切れ」が起こり、身体がオイリーなものを欲しがり始めるのだ。トンカツやフライドチキンのような油分の多い食材の揚げ物が食べたくなるのだ。どう考えても「肉食系」である。
3日間、飽きずに食べられるおせちはないのだろうかと考えたこともあった。古典的なおせちは元日だけにして、あとはトンカツ、鍋物というように変化を付けたのだが、連続性がなく単なる休日料理の美味しいもの選びで終わってしまった。
やはり、一年の始まりは、淡白で飽きることが分かっていても、古典的な食材にアレンジを加えてお重に詰め、ハレの日の「ごちそう」にするのがいいのだろうか。
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