∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

オモニの味

ある方から大根のキムチをいただいた。大根といってもカクテギではない。薄い半円に切られた大根を唐辛子と塩、そしてハチミツとレモンで漬け込んだキムチである。ファースト・インプレッションは「爽やか」で、パリパリとした食感にレモンの酸味が効いた「初めての味」だった。唐辛子の辛さも控えめだったため、思わずその場でたっぷりと食べてしまった。
聞くところ、谷中の小さな韓国料理店(あえて名前は控えさせていただく)のオモニが手作りで漬けたものだという。
以前、上野の韓国料理店で甘辛く味付けたにんにくの芽に白胡麻をたっぷりと振ったキムチを出されたことがある。これもその店のオモニが作ったものだという。
韓国の食事情に詳しくないのだが、どうも韓国にはあって当たり前のものとして「家庭の味・オモニの味」が残っているのではと想像してしまう。出来合いの均一な味に慣らされてしまった僕には、ちょっと羨ましくもあり、懐かしくもある。
大根キムチをいただいた方が「昔はそれぞれの家にその家だけの自慢の味があったのに、今でも残っているのは田舎だけ。東京のような大都会では望めないね」と残念そうに言っていたが、確かにその通り。日本人は、これだけ新しい食文化に敏感になったのと引き換えに大切な「根っこ」を忘れてしまったのかもしれない。
美味しさというのは均一なものではないはず。それぞれの家庭、それぞれの料理店で出されるべき「ここでしか味わえない自慢の味」が少しずつ失われているような気がする。安直に出される「お通し」もそうだし、デパートで選ぶようになった「おせち料理」もそのひとつかもしれない。
キムチが韓国のオモニの味だとすると、日本では味噌汁が「おふくろの味」。もう一度、味噌汁の味から見つめ直す時が来たのではないだろうか。ファミリー志向の原点は「おふくろの味噌汁」にあり、ではないだろうか。
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