∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

広重と巴水、雪を描く

幸いにして都心部では降っていないが、全国的な大雪になっている。都心部でもグッと冷え込んでいるので、いつ降ってもおかしくない状況だ。
僕は寒さが苦手だが、雪となると話は別。視覚的なイメージもあるのだろうが、なぜか歩きたくなる。ある人は「犬みたいだな」などと皮肉を飛ばしてくれた。
ところで、僕は雪景色を描いた版画のなかで数枚好きな作品がある。もちろん、自分でオリジナルを持てるわけもなく見るだけだが。
一枚は浮世絵の巨匠、安藤広重が描いた『名所江戸百景・金竜山浅草寺』。手前に山門の大提灯を配して、遠景に雪を被った本堂が描かれているものである。
もう一枚は、北斎や広重に感銘を受け、浮世絵を復興すべく「新版画」を確立した川瀬巴水(かわせはすい。明治16年5月18日〜昭和32年11月7日)の『雪の増上寺』という作品。一面の雪景色の中、手前に寒そうに傘を差しながら都電を待つ人を写真的な表現で配し、奥に芝・増上寺の朱色の山門を描いたものである。これ以外にも、どこまでも白い雪景色の中に佇む朱色の鳥居とお社を描いた『安芸の宮島』も忘れ難い。
しかし僕は、この二人が描く雪に決定的な違いがあると感じている。
広重の描く雪は、どこまでも凛として「清々しい」雰囲気さえ感じてしまう。
一方、巴水の描くそれにはキリッとした冷気が伝わってくるような迫力がある。
違った言い方をすると「遊びたくなる雪と凍えそうな雪」あるいは「ぼたん雪と粉雪」とでも言えばいいだろうか。
広重の名所江戸百景は、江戸時代の観光ガイド的な役割も果たしていたとされるので、どこかしらに「行ってみたくなるような楽しさ」が潜んでいるのかもしれない。
それに対して巴水の作品は(彼の作品全体を通して言えることでもあるが)夕方の暗くなりつつある空を背景にしているから一層寒々しそうに見えるのかもしれない。あるいは、大正モダニズムの影響も考えられる。
浮世絵版画に隆盛をもたらした広重。浮世絵の復興を目指した巴水。実はこの二人、雪景色だけでなく、月の描き方にも好対照を見せている。いつの日かこの二人の作品をコレクションすることが僕の夢のひとつでもある。
[本日で連続0070日]