∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

おくの細道

◇『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也』。(『おくの細道』の序文より)
 元禄2年(1689年)3月27日、俳聖、松尾芭蕉がのちに『おくの細道』としてまとめられる奥州地への旅に出立した。
 同じく序文の中の『松島の月先心にかゝりて』という言葉もある。芭蕉にとって松島は出立するにあたっての目的地のひとつだった。
 そして、大まかな計算だが、旧暦の3月27日は新暦に直すと4月29日になる。そう、今日のような日に芭蕉は出立したわけだ。
◇2ヵ月ほど前、僕は初めて出かけた南千住で、偶然、芭蕉が奥州地への旅の安全を祈願したと言われている「すさのお神社」に出会い、お参りした。
 その時、「そうだ、『おくの細道』をきちんと読んだことはないな、読まねば」と感じていた。ところが、その日から3週間ほど経った時に今回の大震災が発生。同時にその紀行のことを失念していまった。僕の価値観もいいかげんなものだなと自戒しているが、それはさておき。
◇この旅は、深川を出立し、千住で「すさのお神社」で祈願したのち、芭蕉は北上する。そして、福島、仙台、塩釜、松島、石巻を経て、平泉から新潟、佐渡、金沢へと歩を進めていった。
◇しかし、芭蕉は松島では句を読んでいない。それは、あまりの絶景を目にして、言葉も出なかったからと言われている。
 ちなみに、よく知られている「松島やああ松島や……」という句は後世に作られたもので芭蕉の句ではない。
◇『おくの細道』で訪れた地は今回の大震災の被災地と重なる所が多い。今、芭蕉が奥州路に旅立ったとしたら、どう表現しただろうと、ふと思ってしまった。
 松島の観光船が営業を再開し、さっそく利用した観光客からも「景色が変わっていなくて良かった」というコメントがあったと報道されていたが、仙台や塩釜や石巻、あるいは、工業拠点の変わり様はすさまじい。復興を実感するのはいつになるのだろうと、ついつい、悲観混じりに考えてしまう。
◇しかし、僕は断言したい。あの日以前の風景が残っていないのと同様に、『おくの細道』で表現された風景は失われてしまったと。同時に、新たに自然と共生した美しい風景が見つけ出され、観光地として賑わう日が来ることも確信している。
◇自然との共生を図りながらの復興には長い時間が掛るだろうが、やらねばならない。それが出来なければ「自然と共生した繁栄」は実現しないのだ。
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