∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

たばこ難民

◇僕はたばこを吸う。今では「喫煙者」というだけで敬遠されることにも慣れたし、嫌がられても吸う時は吸うという、開き直りにも似た頑固さも身に付けた。
 もちろん、嫌煙者からは離れた所で吸い、吸いがらも処理するというマナーは守る。しかし、さも「保菌者」のように大げさに敬遠する人たちの前では、これ見よがしに吸ってしまうこともある。
 とにかく、たばこが止められないわけである。
◇大震災の後、セブンスターやマイルドセブンといったJTのたばこはほとんどが出荷停止になり、JT系のたばこを好んでいた愛煙家は、まさに「路頭に迷う」ことになってしまった。
 友人の中にも、外資系のたばこを今日はコレ、明日はアレというように手当たり次第に吸っている人間がいる。彼、曰く「5月11日になれば……」だそうである。
 ところで、僕はというと、もともと外資系のたばこを吸っていたので、今回のJT騒動には巻き込まれなかったが、正直なところ、ホッとしている。
◇愛煙家の中では、秘かに「たばこ難民」なんていう言葉さえ聞こえてきていたが、まだ11日には何日もあるのに、数日前からコンビニにもJTのたばこが再び並ぶようになってきた。
 しかし、まだ個数制限があるらしい。偶然コンビニで出会った男性が「何個買える?」という質問をし、店員も「4個までです」と平然と答えている。僕の友人も久しぶりにJT系のたばこを吸っていた。
 だが、僕は「良かったね」という気持ちと同時に、「ここは日本か? 物資が乏しかった昔のソビエトのスーパーマーケットでの会話のようだ」と考えてしまった。これでいいのか。
◇たばこがミネラル・ウォーターのように切実な意味をもっていないことは重々承知している。確かに同レベルで語るのは疑問が残るが、それはさておき。
◇欲しいものは、何でも、すぐに手に入る。そんな日本人が享受してきた消費生活の基礎が大震災以降揺らいでいる。何もかも、我慢と代用で済ませる時代になってしまったのだろうか。
 確かに、欲しいと思った時に、すぐに手に入ることのほうが異常だったと語る人もいるだろう。しかし、そんな消費活動こそ日本の繁栄を支えてきたのではないか。
 いつの時代でも、繁栄が後退していく時、人々の精神性や社会性は後退し、いわゆる「荒廃の時代」がやってきてしまう。そんなことにさせてたまるか。
 しかし、今こそ後退ではなく「新しいライフスタイルの構築に向けて前進する時が来た」と考えれば力も蘇る。
◇たばこの話がライフスタイルの構築に飛躍してしまったが、意外とこんな日常生活の小さなムーブメントが大きなムーブメントに育つこともある。今回は、必ず育てよう。もう一度健全な暮らしが出来る日本を基本から見つめ直して、気持ちを切り替えながら前進しよう。
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