∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

焼いてもらうか、自分で焼くか

【東京流と神戸流】

 数十年前、東京で生活し始めてお好み焼き屋さんに行ってビックリしました。お好み焼きを自分で焼くなんて僕の生まれ故郷の神戸では考えられなかったんです。もちろん家では焼きますが、それもほとんどが父の仕事だったんです。よく関西の家庭にはたこ焼き器が必ずあると言われていますが、おそらく鉄板焼きプレートもあると思います。それを日曜日になると引っ張りだして、母が作った生地を焼くのは父の役割だったわけです。
 とにかく東京で初めてお好み焼き屋さんで自分で焼きました。それからずっと不思議に思っていましたが、永井荷風の小説だか自伝だかを読んでいた時、やっと判りました。お好み焼きが定着した頃の背景が違っていたんですね。
 大阪や広島などもそうだと思いますが、僕が知っているのは神戸だけなので、ひとくくりに関西として舞台に話を進めます。
 太平洋戦争後、急激に復興を推し進めてはいるものの、まだ食糧難に悩んでいた人たちに熱々でボリュームがあって、ハッキリとした味のもので幸せになってほしいと考えたのが関西のお好み焼きのルーツ。だからこそキャベツを混ぜた厚めの生地や好みで味わえるソースなどが自然と定着していったと考えられます。
 それに対して東京流は。3帖程度の個室でワケありの二人が小さな鉄板を挟みながら逢瀬を楽しむ。そのための小道具がお好み焼きだった、といってもいいと思います。昔は新橋や浅草、湯島などには横丁の片隅にこんな店がありました。ちなみに新橋にはいまでも存在しています。このお店、僕の場合は男4人で行き部屋が狭くて困った時もありました。
 関西は食料。東京は小道具。これだけ明確な差があれば焼き方だって変わってきて当たり前です。たとえ鉄板を前にしていても、飲食店で食べるものを料理してもらうのは当たり前です。もちろん、小道具なら出来るだけ小さな鉄板を使って接近しながら焼くのを楽しむのが当たり前です。ちょっと焼いて「アーン」なんて風景が似合うわけです。味よりも雰囲気重視になってもおかしくありません。
 さて、と。こんな違いはとりあえず片付けて、と……。なんだか無性に食べたくなってきました。一人で行く、かな。

[1703]