逃げる準備の大切さを忘れずに
今日の東京はいつ降り出してもおかしくないような分厚い雲に覆われた一日でした。とはいっても雨は降っていないので、傘なしで動き回れたわけです。
線状降水帯が居続け、甚大な大雨被害に襲われている九州全域のニュースを見ながら「明日は我が身。天災はいつ襲ってくるか分からない」と、すっかり忘れていた“逃げる準備の大切さ”を思い出しました。
それにしても。
ここ数年、線状降水帯が毎年のように襲ってくるようになったと思いませんか。年寄りじみた言いようですが「昔はなかった」です。
台風のように、襲ってきても通り過ぎれば穏やかになるというのとは違い、コイツは終わりが見えないほどいつまでも続くうえに、また来るかもしれないという不安感を与える厄介者。通り過ぎたから復旧に取り掛かろうという人々の気持ちさえなぎ倒してしまいます。
水害といえば台風による被害という災害対策で済んでいた時代は終わったのかもしれません。大雨による河川氾濫や土砂崩れに対する対策や避難体制を考え直さないといけないのではと感じている方も多いのではないでしょうか。
実は僕。小学校低学年の時に神戸にあった父の実家が山崩れで一部崩壊し、一人で住んでいた祖母が被害にあったんです。
多くの人たちの手助けで復旧はしましたが、その時の土砂の色や臭い、土砂の中に出来た水路を流れる水の音。黙々と土砂を取り除く人々のことはいまだに鮮明に覚えています。
ちなみにその家は、崩壊した箇所を修繕したあと、祖母、父の兄一家、僕の家族が住む三世帯住宅に生まれ変わりました。
雨は怖い。川を侮るな。山は恐ろしい。
都会に住んでいると感じなくなる“本能的な恐怖心”を忘れないようにしなければと改めて気持ちを引き締めています。
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