∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 恐れるのは神格化 ≡≡

やっていいこと、悪いこと

 凶弾に倒れた安倍元総理の葬儀が執り行われ、荼毘に付された後、同日に初七日も執り行われた。

──安倍元総理、改めてご冥福をお祈りいたします──

 7月8日に事件が起きたあと、あらゆるメディアで業績を称える好意的な意見と批判的な意見が飛び交っている。この意見の飛び交い方だけを見ても、さすが、行動半径が広く、話題に事欠かなかった政治家だということができるはずだ。
 良くも悪くも、氏ほど裏も表も自在に使いこなしたうえに、瞬時に敵味方の判断する政治力のある政治家は稀に見る存在だったと言って差し支えないだろう。政治家の理非曲直が問われるのは世の常である。

 個人的には亡くなって間もない方に対して批判的なことを語ることほど敬意を欠くものはないと信じている。そのため、批判的な意見を目にするたびに強烈な違和感を感じている。「亡くなったらノーサイド」だ。

 意見が飛び交うのはけっこうなことだが、どうしても許せないのは生前の言動を都合よく取り込んで氏を“神格化”し、政治的に利用しようとする行為だ。
 特に、改憲問題に関しては「論理で突破できなければ、情緒に訴えてでも」という課題である。「理想的なリーダーだった元総理の志を継いで」とか「おっしゃっていたそのままで」いう言葉が出てきたりしたら国政の場で交わされる議論ではなくなる。議論が白熱してきた時に「元総理の構想と違う」などという意見が飛び出してきたら最悪としか言いようがない。

 国政の場での議論はあくまでも論理的かつ建設的なものであってもらいたい。けっして情に流されたり、神がかり的なものになっては困るのだ。
 国の基軸である憲法についての議論だけに丁寧な説明が必要だし、検証作業で出てくる問題を柔軟に受け止める懐の深さも必要になるはずだ。しかし、そこに情緒が入り込む隙はない。

 生前の安倍元総理の言動を好意的に伝えることと、神格化して政治利用する行為は決定的に違う。あくまでも「冷静な判断で今を見極め未来を築く」ものでなければ政治ではない。私はそう考えている。
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[season12/0713/25:10]
小暑』‥あっという間にやってきた夏本番。暑中見舞い。七夕
photograph:SKY at nippori, arakawa & taito city
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