∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ エリザベス女王の国葬 ≡≡

-伝統・威厳・格式-
国民とともに歩む心と
それに応えようとする敬意。
そして、国葬国葬儀の違いとは。

 エリザベス女王Queen Elizabeth II)が崩御されて以来、連日その功績、家族、国民感情、哀悼の意の示し方など、あらゆる角度からこの歴史的な国家行事が伝えられてきた。

 そして今日、とうとう国葬の日がやってきた。

 一般の人々が哀悼の意を表するために集まり、10数時間も掛けて棺に対面する光景を見ていたら、女王が威厳ある立場にありながらも、その枠に留まらずに国民と近い存在であり続けてきたこともよくわかった。
 だからこそ、極端に大きな反論もないし、国民が自発的に哀悼の意を示せるのだろう。
 同時に英国という国が長い時間を掛けて儀式のあり方をブラッシュアップし続けて来たことも理解できた。さすが多くの国からフォーマルな儀式の様式美を参考にされる国だけのことはある。
 宗教も国民感情も歴史も違うが、ここまで昇華された儀式が執り行えるのは日本の大喪の礼くらいではないかとも感じている。

 ところで。(神聖かつ厳かに執り行われた女王の国葬を汚しているような後ろめたさを感じながら)

 エリザベス女王国葬について岸田総理や自民党幹部、あるいは発言力のある一部の人々はどう感じているのだろう。ひとつの儀式と割り切って捉えているのだろうか。それとも外交の一部と理解しているのだろうか。あるいは、国葬に関して明確なルールのある英国と日本は根本的に違うと理解しているのだろうか。それとも執り行うことに意義があるということなのだろうか。
 特に、マスメディアの世論調査で多くの国民が異を唱えていることが分かった安倍元総理の“国葬儀”との差についてはぜひとも聞かせてもらいたいものだ。
 世界に向かって発表した国葬儀をいまさら取りやめにすることは不可能に近いだろう。しかし、その趣旨と意義については納得の行く説明をしてもらいたいものだ。
 なかでも、党内や一部の人々に、国民感情以前に独善的に、その場の感情の高ぶりや政治的な神格化を模索しようとしたものではなかったのかどうかについてはぜひとも教えてもらいたい。
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[season12/0919/25:20]
『白露』‥朝夕の涼しさ。重陽節句。菊。台風。夕焼け。
photograph:OLD TREE/souji-ji, turumi, city of yokohama
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