∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 厄介者が影を潜める候 ≡≡

七十二候の文言を
生き方に置き換えてみると
途方もないところに着地した

 古代中国で考案された季節を表す言葉には二十四節季とそれを更に3等分した七十二候(しちじゅうにこう)がある。いわば古代中国で使われ、日本に伝播してきたカレンダーだが、その“農業暦”を掘り起こすと今日からの5日間は『秋分』の節季の次候、《蟄虫坏戸(むし かくれて とをふさぐ)ということになる。
 殺虫剤など何もなかった時代に考案された暦だけあって「虫」の行動には敏感だったのだろう。「涼しくなり、厄介者だった虫が土の中に帰って行き自ら穴を塞ぐ」と昆虫の生態を無視した短文で表現されている。

 余談だが、二十四節季や七十二候で使われている文言は俳句の世界で季語として活用されているものも多い。

 そう、この《蟄虫坏戸》の候は、厄介者が自ら身を引く頃なのだ。強引にこの短文を生きざまに当てはめてみると、眼の前の厄介者が身を引くという捉え方と、自分の心に巣食っていた固定概念やこだわりにフタをして新たな視点でモノゴトを捉える時期というポジティブな捉え方ということになる。

 私はこの「固定概念やこだわりにフタをして新たな視点で…」という文言が妙に気になっている。
 飛躍が過ぎるのを承知したうえでの話だが、人生の終焉に向かう時期、つまり冬に向かっているときでも新たな視点や捉え方を忘れないという捉え方をすると、生きざまそのものに新たな活力が湧いてくるような気がするのだ。

 私の場合は、新たな視点でモノゴトを見つめる前に、封印してきた記憶を掘り起こすことや、背を向けてきた生き方に再注目することから始めないといけないのかもしれない。それでもいい。自ら生きざまを固定化させることはない。

 涼しくなって虫がいなくなったという自然現象から途方もなく離れたところに着地してしまったが、これもまた“思考ゲーム”のひとつ。こじつけもここまでくれば立派なものだと自負しておこう。
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[season12/0928/25:30]
秋分』‥秋の彼岸。自然の舞台転換。昼夜の長さ。新米。曼珠沙華
《蟄虫坏戸》‥むしかくれてとをふさぐ‥虫が土中に掘った穴を塞ぐ。
photograph:SKY TREE view from UENO-SAKURAGI, taito city
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