∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 一天にわかに掻き曇り ≡≡

急げ、ひと雨くるぞ

 ご無沙汰していた知り合いの会社に出向き、帰宅しようとしてJR御徒町のホームから空を見上げると、黒い雲が迫ってきていました。

 「あの雲、危ないなあ。ひと雨来るぞ」

 昔のように、ザッとひと雨降ったあとは陽射しが戻ってくる“夕立”が減り、ドシャーと降るだけ降る“ゲリラ豪雨”が増えた昨今、雨雲が迫ってきているというだけで警戒するようになってしまいました。

 ─夕立にはある種の風情や情緒があるけれど、ゲリラ豪雨は乱暴者が荒らし回って去っていく騒動でしかない─

 そんなことを考えながら、ポツポツ降り始めた雨と競争しながら我が家に着いてみると猫軍団が全員集合していました。彼らとしては、夕ご飯の時間が迫ってきていることだし、早めに雨宿りしておくかと考えたのかもしれません。

 本降りになった雨の音を聞きながら、彼らのリクエストに応えて早めに準備。「軍団の皆さんにサーブ」していたところ、急に雨音が聞こえなくなりました。

 どうやら今日の雨は夕立だったようです。

 湿り気を含んだ熱気が窓からムワッと入り込んでくるけれど、明るさも戻ってくるという典型的な夕立仕様。これなら夏ならではの風情も楽しめます。

 食餌の終わった猫軍団も食後の散歩やトイレに出掛けやすかったようで、今のところ在室者ゼロ。しばらくの間は静かに過ごせそうです。これで蒸し暑さが取れれば最高なんですが。そこまで望むのは贅沢というものでしょうか。

[3213]

≡≡ 午後から雨じゃなかったの? ≡≡

傘を持ってるのは僕ひとり

 朝の天気予報を聞き間違えたようです。

 薄い縮れ雲の間から青空を見上げて「本当に降るのかな」と思いながらも傘を持って出掛けたんです。
 ところが、昼近くになっても雨雲なんてどこにも見当たりません。むしろ、雲が減り、すっかり晴天になってきているではありませんか。午後半ばになっても晴天。陽射しがチリチリと肌に刺さるような夏の日になってしまったのです。

 駅でも、街路でも、周囲を見渡しても傘を持っているのは僕ひとりのようでしたが、それでも僕は傘を持ち続けました。

 帰宅してテレビの天気予報を見ていると、なんと雨が降るのは明日とのこと。今日の天気から明日の天気と番組が進む中で明日の天気だけを見聞きして「オッ、今日は雨か」と早とちりしたわけです。
 おバカというか、オッチョコチョイというか、それともトボけたオッサンと言えばいいのか。

 マッ、準備のいい人と自画自賛しておきますか。

[3212]

≡≡ 気力回復中 ≡≡

ありがたい。週明けからは……

 昨日、友人と会って他愛もない会話、というか、一方的に話し続けて心のオリが少し取れたのでしょうか。少しずつ気力が戻ってきたような気がしています。
 気兼ねのないストレスフリーな会話の効果ってあるんですねえ。数日間とはいえ、無気力、無反応だったのが嘘のようです。

 気力が戻れば思考回路だって再稼働して本調子に戻れるはずです。いや、そうなってもらわないと困ります。
 この“ねばならない”とか“無理にでも”という性格が災いしていると判ってはいても、これがなくなれば僕ではないとも思えるし、なんとも難しいところです。

 マッ、もうひと晩ぐっすり寝て新しい一週間に備えます。

[3211]

≡≡ 東京に出店したお好み焼き屋考 ≡≡

ローカルフードと地域出身者の関係

 「昼飯でも食べよう」と友人からの電話があり、ホイホイと秋葉原お好み焼屋さんへ。知っている人は知っているリニューアルが終わったあのお好み焼き屋さんです。

 食べ進むうちに「アレー、先週も行ったし、その前も行ったなあ。そうか、この1カ月で3回食べている」ことに気がつきました。
 いくらお好み焼きが好きだと言っても、東京にいる限り数カ月に一度くらいしか行かないのが常だったのに、ここに来てこうなるとは……。

 粉モン文化を揶揄されたり、お好み焼きに白ごはんと味噌汁と漬物が付いた定食を気持ち悪そうな目で見られたり、ソースの種類を知らない従業員にしたり顔で説明されたり、マヨネーズを威勢よくかけそうになったのを断ると咎めるような目で見はじめるのをスルーして“古典的な神戸流”の食べ方で食べ続けてきたお好み焼です。
 毎日でも食べたいものでも場所が違えば食べる回数が減ってもおかしくないはず。それなのに…ちょっと多すぎるような気がしています。まあ、毎回満足しているのだから文句はありませんが。

 せっかくの機会なので言わせてください。一般論として東京に出店したお好み焼き屋さんにお願いしたいことがあるのです。

 お願いというのは、アルバイトを雇う時の条件のひとつに、大阪なら大阪、神戸なら神戸、そして(認めたくないけれど)広島なら広島出身の人を雇うという項目を加えてもらえないかということです。

 それぞれの土地にそれぞれの味わいと食べ方があるのがローカルフードの魅力です。それなのに、飲食店の接客の基本しか教えられていないアルバイト相手だと聞きたいことも聞けない時があるもの。説明しても理解してくれない時だってありますからね。
 僕の場合はお好み焼きですが、各地のローカルフードにソウルフード的な思いを抱く人は多いものです。特に地域に根づいたものであればあるほど、期待して出掛けているのに、当を得ない受け答えが帰ってくるとそれだけで期待はしぼんでしまいます。

 少なくとも、そのローカルフードが身近にある地域出身者なら話もし易いのではと想像しているオッサンの願い、叶えていただけませんか。

[3210]

≡≡ 無気力は年のせい? ≡≡

「抜く時」を見分ける知恵

 昨日、突然襲ってきた無気力状態から徐々に脱してきたような気がしている今日、ふと「無気力なのは年のせいなのかも」と思うようになりました。
 暑気あたりや蓄積疲労など、夏特有の体力低下も疑いましたが、どうもそうではないようです。

 実は僕、若い時から突然無気力になり、何もかもが手つかずのままになってしまうことが一年に数日ありました。しかし“若さ”という万能薬のおかげで大袈裟な反応をすることなくやり過ごしてきました。
 齢を重ねるごとにそんな突然の無気力状態に陥ることが多くなっても「ひと晩寝れば治るよ」とか気候のせいにしてきました。

 蒸し暑かったり、寒すぎたりした日が続くとこの状態に陥ることを考えると、基礎体力が落ちているのかしれませんが、それ以上の根源的な原因があるように思えてきたのはここ数年のことです。

年のせいだろ!
いや、そうじゃない。
これこそ時の流れが与えてくれた知恵なのだ

 瞬発力が落ちてきたのは認めるけれど、持久力や集中力は以前と変わりないと思い込んでいるのが間違いだったのかもしれません。
 年とともに気を抜いていいタイミングや休憩すべき時など「抜く時」の見定めが出来るようになり、ある意味、賢くなったのかもしれません。言葉を変えれば「齢を重ねれば身体にも知恵が付く」と言えるかもしれません。

 さて。気力を取り戻して、いつものオッサンに復帰するのももうすぐです。

[3209]

≡≡ 突然ですが、体調不良です ≡≡

どうにも動きが鈍い

 起きた時からおかしいなと思っていたんです。何かをしようとしてもササッと動けずボーッと座り込んでしまったり、何かに集中しようとしてもボヤーッとしてすぐに気が散ってしまう。そんな無気力状態に突然陥ってしまっています。

 夏バテというほど炎天下を動き回っているわけでもないし、睡眠時間もいつもどおりだし、エアコンの冷気が強すぎるわけでもないし……。
 何が何でもやり終えなきゃいけないことがないので、気が緩んでいるのかもしれませんが、とにかくダルいんです。

 ウーン、参った。頭の中は通常営業だというのに身体は夏休みを引きずっているような感じです。何かピリッと身が引き締まるような出来事があれば、このダルさも消え失せるはずですが。

 こんな時は無理せずに気力が戻っってくるのを待ったほうが良さそうです。

[3208]

≡≡ 台風襲来 ≡≡

準備万端整えたのはいいけれど

 大型台風が九州・四国・西日本を襲うのが確実なため、明日からは交通機関も計画運休に入ります。

 今日のトップニュースは台風の話題ばかりです。

 チラチラとニュースを見ながら連休明けに来る(と期待している)仕事の下準備をしていたのですが、あまりにも台風準備が大事になっているため、僕も自分用と猫用の食料調達に走りました。
 お盆休みでひと気の少ないスーパーに行き、あれもこれもと買い物かごに。どう考えても4~5日は持つだろうというくらい買い込んで帰宅しました。

 ガッツリと食料を買い込んで「準備のいいヤツじゃわい」と自画自賛しながら天気予報サイトを見てみると、意外や意外、東京の天気は曇りだとか。土砂降り、暴風を予想して“おこもり準備”をしたのにこれならいつもどおりの生活が送れるじゃないですか。
 九州と四国と西日本だと言っているにも関わらず、東京にも来るぞと早とちりしたようです。というよりも、どうして買い物に行く前に天気予報を確認しなかったのか、自分のおっちょこちょいぶりに呆れています。
 ひょっとすると、深層心理の中で、来るかどうか決まってもいない仕事の準備に嫌気が差し、ついつい出掛けてしまったのかもしれません。

 台風で大きな被害が出るかもしれず、緊張感に包まれている地域の皆さんには申し訳ありませんが、東京は台風のさしたる影響もなく蒸し暑いだけの日々を過ごすことになりそうです。
 マッ、たっぷりと買い込んだ食料を食べ続けながら仕事の準備に励めるのだからヨシとしておきますか。

 台風が直撃しそうな地域の皆様、警戒怠りなくご自愛なさいますように。

[3207]

≡≡ 本日より通常営業 ≡≡

夏休み終了

 土曜日からの3日間、お休みをいただいておりましたが、本日より通常営業に戻ります。まあ、休みなんてあってないようなスタイルで暮らしている僕にとって“通常営業”という概念自体あってないものですが、それでも“けじめ”として書かせてください。
 振替休日を含めた週末3日間だけでも完全オフで過ごせただけありがたいと思っている僕にとっては10連休なんて夢のまた夢。もともと、積極的に休もうと思っていないので、3日も完全オフになれば充分です。

 さて。エネルギーも充填できたことだし、ちょっとスパートを掛けて夏の後半を乗り切りますか。

[3206]

≡≡ 遺書を書く勇気 ≡≡

御巣鷹山から34年

 34年前の今日。羽田から伊丹に向かっていた日航123便群馬県の通称御巣鷹の尾根に墜落しました。死者520名、生存者4名。今も犠牲者への鎮魂や残された人々の心の平穏、そして事故を繰り返さないための戒めのための慰霊登山が続けられています。

……………

 御巣鷹山の事故から2カ月ほど経った頃、僕はアメリカ・ニューヨーク州イサカにあるコーネル大学を訪れました。

 ボストンから数十人乗りの飛行機に乗っていた途中から雨足が強くなり、揺れ続ける機体でようやくシラキュースに到着したのですが、荒天のため出発は延期。空港のカフェで8時間ほど待った後、ようやく10数人乗りの小型機で目的地のイサカに出発することになりました。
 アメリカのローカル線ではおなじみのペーパーカップに自分で淹れたコーヒーを持ち、地上職員から貰ったキャンディ1個をポケットに入れ、背もたれが折り畳める観光バスの補助シートのような座席に座っての出発です。

 土砂降りとはいえ出発したのだからなんとかなるんだろうと思ったのが甘かったと気がついたのは出発してから10分ほど経った時でした。酷いエアポケットに突っ込んだのか、機体が数十秒間、急激に垂直降下したのです。
 シートベルトはお腹に食い込み、窓に付いた水滴は下から上に流れていました。折り畳んであったシートの背もたれはすべて立ち上がり、コーヒーも書類もバッグも何もかもが機体の天井に張り付いてしまったのです。

 そんな状態の中で僕は残した家族のために遺書を書いておくべきかどうかを考え始めました。

 墜落していく日航機の中で家族宛の遺書を手帳に書き残された方がいらしたというニュースを思い出し「ここが死に場所なんだろうか」「オレも遺書を書いておくべきなんだろうか」と火花のように思考が飛びかったあと、事故の予感を遮るように「こんな所で死んでたまるか」「命をパイロットに預けよう」というふたつの気持ちが浮かんできました。つまり、現実から逃避して成り行き任せにしたわけです。

 あの時から、犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、人が極限状態の中で遺書を書くためには、日常直面する決定とは比べものにならないほどの勇気と決断力が必要だと考えるようになりました。

 一般的に、人は自分が置かれた状態を見据えて行動を決定するする時、逡巡を繰り返しながら方向性を見定めていくものです。僕はあの時、置かれた状況を見据えることもなく現実逃避しました。しかし、その思考の推移は「戒め」として残り、行動規範の一部になっていると思っています。

 見ず知らずの方に思いを寄せる失礼をお許しいただいて、改めて墜落する機体の中で遺書を残された方に敬意を評したいと思います。

[3205]

≡≡ 建築物と美術 ≡≡

建物そのものが主張する美の集積地

 品川駅高輪口から徒歩10数分。箱根駅伝のルートとしても知られている新八ツ山橋の信号を渡って御殿山の住宅街へ入っていくと歴史的にも価値の高いモダニズム建築が見えてきます。
 周囲のお屋敷に同化して溶け込んでいるその邸宅が美術館だということは入り口に掛けられた小さな看板だけ。なにげなく通り過ぎてもおかしくない邸宅です。

 この邸宅こそ、日本ではほとんど例のない現代美術を専門に発表し続けてきた『原美術館』なのです。もともと1938年に当時流行モダニズム建築として建てられたものを1979年に再生してオープンしたこの美術館では以来数多くの現代美術作品が展示されたり、パフォーマンスが発表されてきました。

 数カ月前、この美術館が2020年12月には閉館して、伊香保温泉にある『ハラミュージアムアーク』にすべてが集約されるという話を聞き込み、早いうちに行かなければと思っていました。
 僕には敷居の高いコンセプショナル・アートの美術館なので10年以上行っていませんでしたが、移転するとなると話は別です。
 原始的かつ神秘的な力を秘めた現代美術家加藤泉氏の半世紀近くに及ぶ作品が一堂に会した『加藤泉-LIKE A ROLLING SNOWBALL』展を観ることと、建築物としての美の両方を楽しませてもらおうとして出掛けました。

 ところで、ところで、です。

 2020年夏には近衛師団司令部だった国立近代美術館工芸館が金沢に移転し、同年12月にはこの原美術館伊香保温泉に移転します。新たな美の拠点を作って作品の保存や拡充を行うのは、判ってはいても、気楽に訪れることの出来ない存在になりそうで一抹の寂しさを感じてしまいます。しかも工芸館に関しては建物も移転するとか。こうなるとそのための旅行計画を練らないといけないようです。

 旧朝香宮邸をリノベーションした都立庭園美術館、細川家の美術品収蔵庫だった永青文庫民芸運動の提唱者、柳宗悦が創設した日本民藝館、彫刻家朝倉文夫の作品を自宅だった建物に集めた区立朝倉彫塑館。そして原美術館と近代美術館工芸館。
 東京には歴史的に価値のある建造物が美術館になっている例がいくつかあります。それぞれが比類なき作品を所蔵したり展示したりする貴重な空間です。僕はそんな空間が大好きです。ひょっとすると展示作品以上に建造物そのものに惹かれて訪れているといっても過言ではないくらい。
 それなのに、来年になると、そのうちの2つも閉館してしまうなんて。こんな時が来るなんて思ってもみませんでした。これからは気楽にフラフラと訪れないほうがいいのかもしれません。

[3204]

≡≡ 土曜日はいつでも土曜日 ≡≡

いつもどおりで変わりなく

 お盆休み初日。夏休みで遠出している人、お盆で里帰りしている人などなど世の中は大移動の真っ最中のようです。東京も静かになっているような気もします。
 そんな特別の土曜日、僕はいつもどおりのペースで一日を過ごしました。

 目覚ましなしで起き、気ままにフラリと出掛け、夕食後はテレビを点けたまま寝落ちする。無意識に行っている自然なワークアウトで体力も気力もリカバー出来たように感じています。

 そうです。早い話が、お盆休みとは無縁の時間割で過ごしたわけです。

 これでいいんです。僕のように時間だけは自由な身は、言い換えれば、いつだって休める立場にいるわけです。そんな立場の人間にとって、わざわざこの10日ほどの間に日頃の時間的な制約から自分を解放しなくてはというような意識は似合いません。
 「自分の周囲が休みだから自分の時間が増える」。この程度の軽い気持ちでいるのがイチバンです。

 ということで。明日もいつもどおりの日曜日を過ごせますように。

[3203]

≡≡ ただの週末じゃない金曜日 ≡≡

事実上、今夜からお盆休み

 金曜日の夕方。開放感が押し寄せるのをグッと我慢しているところですが……。

 週が明けてお盆休みが始まることを考えると、今夜から事実上のお盆休みに突入するわけです。
 僕にとってこの事実は、答えの出なかった案件が10日間ほどペンディングになって、ハラハラドキドキする時間が長くなるということなんです。

 明日になれば「オオ、休みじゃワイ」と開き直って美術館巡りに出掛けるはずですが、さすがに今夜は不安定な気持ちで過ごすことになりそうです。
 アッ、もちろんお盆らしきことだって忘れずにやりますからね、あしからず。

 ということで。皆様、良きお盆休みや夏休みをお過ごしください。

[3202]

≡≡ 立秋を迎えて ≡≡

エッ、もう秋? ということは!

 8月8日。二十四節気では「立秋」。七十二候では「涼風至(すずかぜいたる)」。つまり秋の気配を感じるようになり、涼しい風が立ち始める日」ということです。

 もともと旧暦で構築されたものを無理矢理新暦に合わせたのだから、体感に違和感が出ても仕方ないと割り切ればいいのでしょうが、「今日はこの日ですよ」と言われれば「そうかなあ」と渋々受け入れてしまうのが世の常。どこかで古の教えを引きずっているのが人間というものかもしれません。

 とはいっても、暑いものは暑い。どう考えても夏真っ盛りじゃないですか。ついこの間梅雨明けしたばかりだし、盂蘭盆も終わっていないし、高校野球なんてまだ序盤戦ですよ。秋の気配なんてどこにもないと思います。
 梅雨が長すぎたのか、それともここ数年感じている「真夏が短くなっている」現象の影響なのか。「立秋ですよ」と言われても身体が納得していません。

 それはそれとして。今日が立秋ということで忘れていたことが。

 今年は暑中見舞いのご挨拶を一度もしないまま残暑見舞いの季節を迎えてしまいました。なんだか、季節の移り変わりを見逃してしまったような気分です。

 暦には申し訳ありませんが、この心残りを解消させてください。

暑中お見舞申し上げます。
そして
残暑お見舞申し上げます。
まだまだ猛暑の日が続きます。
どうぞ、ご自愛なさいますように。

[3201]

≡≡ キーボードの悲劇 ≡≡

「6」と「E」と「K」

 軽いタッチと確実な動作。僕はキーボードを選ぶ時にずっとこの基準で選んできました。会社員だった時も支給されたものは引き出しに仕舞いこみ、指がしっくりとふぃっとするものに交換していました。
 もう何枚買ったか判らなくなるほど交換してきたキーボード。そんな相棒に危機が迫ってきているようなんです。

 知らないうちにキーボードのキートップがポロリと取れている事件が頻発するようになったのは約2週間前から。日を変えて「6」と「E」と「K」のキートップが順番に取れていたのです。現状確認したところ、キーボード上にツメを研いだような痕跡があるため、ツメを研いでいるうちにトップが取れたというか剥がれてとしまったというのが真相のようです。
 事故を発見するたびにトップを押し込んで修理しているので、今のところ実害はありませんが、それでもトップが失くなった時のことを考えると気が気ではありません。

 おそらくキーボードの上で寝るのが好きなアイツだろうなと思いつつ、現場を確認したわけでもないし、犯人が確定しても聞いてくれる相手でもないし。
 いったいどうやって事故を防げばいいのでしょう。どうやって言い聞かせればいいのか、一度本人と話し合ったほうがいいのでしょうか。

 オイ! まだ名前のない白猫クン。頼むからキーボードでツメを研がないでくれよ。研ぐんだったらキミたちがボロボロにしたラグにしろよ、な」

[3200]

≡≡ 三ノ輪に行けば ≡≡

やっぱ、チキンカツ、でしょ

 東京都荒川区南千住。最寄り駅は日比谷線三ノ輪、都電荒川線三ノ輪橋。大きな商店街はジョイフル三ノ輪

 ちょっとしたヤボ用があって久しぶりに三ノ輪に出掛けました。

 自宅から自転車で約20分なので行こうと思えばいつでも気楽に行ける所なのに、よほどのことがない限り行かない東京23区の中でも極めつけの“ど下町”。とはいっても行かないと収まらない事があれば行くしかない。そんな気分で出掛けたんです。

 ヤボ用を終わらせて、フラフラと自転車を漕ぎながら「さて、三ノ輪なんだからチキンカツを買わなきゃな」と、ジョイフル三ノ輪の鳥肉専門の惣菜屋さんへ向かったのです。
 何時のことだったか、ここのチキンカツを買って、その大きさと揚げ具合いの良さにビックリしたことがありました。それ以来、三ノ輪に来るとチキンカツを買って帰るようになったのです。というか、チキンカツ目当てに来ていると言ってもいいくらいです。

 店主のオジサンが考えたのか、それとも2代目のアジア系の奥さんが考えたのか。チキンカツの大きさが2種類になっていたり、大葉で巻いたササミカツが並ぶようになっていたりとメニューも増えていました。もちろん、じゃがいもコロッケと鳥ひき肉のメンチを合体させた「メンコロ」や、ゆで卵を鳥ひき肉で包んだスコッチエッグ風の「メンタマ」、ちょっと甘めのタレで子供に人気の大ぶり焼き鳥も健在でした。
 ちなみに、どの商品も「この値段でいいのかな」というくらい。まさに“ど下町”価格です。

 店の奥で作られる鳥惣菜はどれもこれも「○○グルメ」と騒がれるものとは一線を画したもの。「気取らず、儲けすぎず、丁寧に作る」という姿勢が反映された庶民の人気者とはこうでなきゃという見本のようなものばかりです。

 ということで。今夜はチキンカツのタルタルソース添と玉ねぎフライ、そしてササミと水菜のサラダをがっつくことにします。

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