【夜明けの光】
気がつくと、漆黒の空が瑠璃色に変わっている。
黄銅鉱が混じったラピスラズリのような神秘の色に染まった空。
もうすぐ夜が明けるだろう。
静かな時が過ぎていき、空は淡い水色に染まる。
ペールピンクの雲と薄墨色の雲がペールブルーの空のアクセント。
ほんの少し目を離した隙に、
ペールピンクの雲から濁りと赤みが取れ、クリアなオレンジ色に変わっている。
ペールブルーの空も少しだけ淡いターコイスブルーに変わっている。
薄墨の雲に白く輝く輪郭が浮かび上がっている。
夜明け。
太陽の光が、雲を下から照らす時。
雲に反射した朝の光が下町の路地をフワッとした光で隅々まで照らし出す瞬間。
光が横から輝くまでにはもう少しだけ時間が掛るだろう。
ようやく止んだ雨の夜を越えて、今日も陽が昇る。
【一番好きな光】
僕のお気に入りはこんな夜明けの光。一日でたった2〜3分間しかない貴重な時間に自分が立ち会えただけで幸運だと思える瞬間です。
仕事の時間割が変わって以来、この瞬間に立ち会えるようになりました。まだ濃いピンク色の大きな光の塊でしかない太陽を見ることはこれまでにもよくありました。でも、太陽が昇ってくる瞬間に立ち会ったことは一度もなかったのです。今、僕はこれまで見逃していた「光が誕生する瞬間」にまとめて出会っているような気がしてなりません。
夜明けの瞬間を知らなかった僕に、まるで太陽が「たっぷり見ろよ」と言っているかのようにも思えます。ちょっと大袈裟かもしれませんが、この瞬間を知っただけでも「ありがたい」と思ってしまうほどです。
もちろん、毎朝、雲と光の表情は違います。
たとえば西洋絵画で言うと、ターナーが描いた重苦しい中にも希望を感じ取れる表情の朝もあります。アンドリュー・ワイエスの描いた淡い光と強い風を感じ取れる朝もあります。なかには、ルネサンスの巨匠たちが、宗教画の背景に定型的に描いた、雲間から直線的な光が射し込んでくるような朝もあります。
ところで、どうして浮世絵の巨匠たちはこんな夜明けの光と雲が創り出す宇宙的な瞬間を描かなかったのでしょう。光とその色は、それが描かれた時間や状況を表すために使われたとは一概には言えないような気がしてなりません。つまりコード化されたものとは思えないわけです。
かわたれの色、しののめの色、たそがれの色、夜の色。風雲急を告げる色。浮世絵では、下絵の段階で見当を付けず、摺師の技量に任せた“当てなしぼかし”で表現することがキマリでした。
西洋と日本。光と雲に対する世界観の違いは、人生観や自然とのつながりの違いそのものではないか、そんなことまで考えてしまいます。
絵画の世界はまたいつか考えるとして、今は、すっかり「お気に入り」になってしまった下町の夜明けの光を存分に楽しむことに専念します。
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