予感で終わるな、よ
昨日までゆったりとした時間割で過ごしてきましたが、今日になって急にアタフタしそうな気配が濃厚になってきました。
それにしても、急にくるんですねえ。のんびりしていたところに突然の「急げ急げ」の予感。大歓迎です。
のんびり気分から抜け出して、気合いを入れ直して直面する課題をひとつずつ越えていくことにします。
ということで。予感が予感で終わってしまわないよう、先を急がせてもらいます。
[0114 - 3362]
昨日までゆったりとした時間割で過ごしてきましたが、今日になって急にアタフタしそうな気配が濃厚になってきました。
それにしても、急にくるんですねえ。のんびりしていたところに突然の「急げ急げ」の予感。大歓迎です。
のんびり気分から抜け出して、気合いを入れ直して直面する課題をひとつずつ越えていくことにします。
ということで。予感が予感で終わってしまわないよう、先を急がせてもらいます。
[0114 - 3362]
今日は成人式、だそうですが
僕は今年中に成人を迎える19歳と、すでに成人を迎えている20歳と計算方法の違いがあったために神戸と東京の二カ所で成人式に出席することが出来たのにどちらにも出席しませんでした。そのためかどうなのか、いまだに成人式という名の儀式に実感が沸きません。
当時のことを思い起こすと、まだ19歳だった時はそんな儀式なんて行きたくないと思う反骨心から。20歳になってからの成人式はアルバイトを優先させたためにそれどころではなかったから。つまり成人式の優先順位はかなり低かったのです。
そもそも、今日からは大人の仲間入りと言われても、一人の生活者として昨日と今日はどう違うんだという意識が強かったのだと思います。
「昨日までは子供で、今日からは大人。社会的な責任を自覚します」という人はこれまで社会の一員として自覚なく好き勝手に生きてきたんでしょうか。そんなことはないはずです。軽重はともかくとして、守るべき社会のルールは“子どもの世界”にだってあるんですから。
マッ、そんなへそ曲がりな考えは脇に置いて。
これまで全身全霊を掛けて育ててきた自分の子供が成人式に出席できたと満足感に浸っている親御さんにとってこの日はまさに節目の日。
おめでとうの言葉を、一人の人間を育て上げて無事に成人式まで済ませたすべての親御さんに捧げます。
[0113 - 3361]
今日は日曜日。そして、僕にとっては実質的な仕事初めの日。
それなのに、それなのに。このカレンダー上のズレを判っていなかったのがいけなかったのか、自分自身と世間様の間にギャップがあるように感じた一日でした。
電車に乗ろうとしたら待ち時間は長いし、いつもならスーツ姿の男性で溢れかえっている街を歩いていればカジュアルな服装ばかりが通り過ぎるし、シャッターやドアが閉まっている店舗やビルがやけに目立つし、休んでいる食事処は多いし……。
日曜日だと意識せずに動き回っていただけに、街のディテールがいつもと違うことにいちいち疑問が湧いてきたのでしょう。やるべきことはやったけれど、とにかく妙な気分で一日を過ごしました。
しかも明日も休日じゃないですか。成人の日ですって? 今年はじめての三連休だなんて、まったく気がつきませんでした。
時間に縛られていない生活と言えばそれまでですが、それにしてもノンキですよねー、僕って。
と、今さらのように自分の呑気さに呆れながらのそれはそれにして。明日はあと一日自分だけの時間割で過ごせる日を“いただいた”と自分に思い込ませて“インプット”の積み増しに励むことにします。……いいのかなあ、これで。
[0112 - 3360]
世の中が“ゴーン事件”や“イラン問題”“オーストラリアの森林火災”などで大騒ぎしている中、ここまで緊張感に欠ける一週間を過ごしてよかったのかと自問自答しながらも「マッ、いいか」と諦めにも似た気分と「嵐の前の静けさ」に身構える気持ちが頭の中を交錯している。こんな気持ちで、事実上今年はじめての週末を過ごしています。平たく言えばユルユル。今は週末らしい開放感を楽しむ気分とはほど遠い状態です。
今のところ、明日の日曜日からゴソゴソと動き始め、週の半ばから本格始動ということになりそうですが、これだってあくまでも予定。その日が来るまでは体力と精神力を温存することになりそうです。
マッ、こういう時もあるさ……ですかね。
[0111 - 3359]
寒いとはいっても凍えるような寒さではない日が続いています。天気予報で「来週からは寒くなりますよ」と言われてもにわかには信じがたいほど。
寒さにめっぽう弱い僕にとって暖冬はありがたいことですが、一方で、四季のリズムが壊れてしまったのか、これも地球温暖化の一環なのかと微かな危機感も抱いてしまう自分もいます。
季節のリズムを明文化した二十四節気によると小寒から大寒は一年でもっとも寒い時期です。この法則を近頃の寒さに当てはめてみると、一番暑い時期になるとどこまで気温が上昇するのだろうと心配になってしまいそうです。
寒さは苦手だけど、寒い時は寒くあるべき。
メリハリのある四季の移り変わりこそ日本らしさだと思っているのは僕だけなんでしょうか。
[0110 - 3358]
ときどきふらりと入ってクールダウンするようになった根岸の喫茶店に今年初めて行ってみました。
いつもなら「いらっしゃいませ」と聞こえてくるところが、今日は「明けましておめでとうございます」。それも丁寧なお辞儀付きです。当然、こちらも新年のご挨拶で応えました。ちなみに、帰る時には「今年も宜しくお願いします」という言葉とともに送り出されました。単なる顔見知り程度の僕にまでご丁寧にと感心するやら驚くやら。気持ちいいこと、気持ちいいこと。
いくら下町の喫茶店とは言え、ここまで丁寧なお迎えをされるとは思いもしませんでしたが、よく考えると昔はこれがお店との付き合い方でした。マニュアルどおりの店舗運営に心掛けて、人と人とのふれ合いは極力避けるように教えられているカフェ・チェーン店ではこうはいきません。
誰にも邪魔されずにいたい時にはカフェ・チェーン。人情とふれ合いながらのひと時を過ごしたい時には個人経営の喫茶店。こんな選び方もアリかもしれないと思い知らされた気分です。
喫茶店というよりも慣れ親しんだ居酒屋感覚で過ごせる下町の憩いの場。こんな喫茶店のことを僕は応援します。
[0109 - 3357]
食餌の準備が始まった途端に目を覚まして僕の足元でニャーニャー鳴き始める姫。待ち焦がれたカリカリご飯をたっぷり食べた今、彼女は僕の膝の上で食後の“憩いの時”を過ごしています。
目を瞑る前にひと声ニャーと鳴いてからスフィンクス座りになって眠り始めるのが彼女流。律儀と言うか、単なる甘えん坊と言うか。キーボード周りにいると追いやられることを覚えているのか、必ずひと休みは膝の上です。
実は、この時間帯は毎日のように、こんな“猫との共存”をしていていいのかという疑問を抱く時間帯です。猫には猫の事情があるはずと諦めてはいますが、毎日となると愛おしい時ばかりではなくウンザリする日だってあります。
ちなみに今日は愛おしい日。このブログを書き終わるまで僕の膝の上は彼女のものです。
と、言いながら。そろそろ彼女に動いてもらう時間が来たようです。
サッ、起きてくれ、オハヨー!
[0108 - 3356]
せり、なずな、ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、すずな、すずしろ。これぞななくさ。
子供の頃、正月が明けてしばらくすると、祖母が作った細かく刻んだ野菜が入ったお粥を食べさされていました。
ちょっと苦味のある「せり」と蕪や大根の赤ちゃんのような「すずな」や「すずしろ」までは判るけれど、ほかの野菜は「その辺りから摘んできた雑草」としか思えないようなものばかりが入った薄い塩味のお粥。今となっては懐かしい思い出ですが、当時は、どうして食べなきゃいけないのか疑問に思うことばかりの食べ物でした。
調べてみると、この七草がゆ、もともと邪気を払い万病を除くものとして食されていた料理で小正月(1月15日)に食されるものを七種、七日正月のものを七草と称した「冬野菜を食べる習わし」だったが、今では縁起も判らなくなり風習が残っているとあります。つまり僕は、よく判らないまま「食の儀式」に参加していたわけです。
今では、食べることをあきらめて、寄植えにして楽しむことも多くなったこの七草と同じように、形だけが残っている風習や文化は世界中に数多く残っているのではないでしょうか。
日本のことだけを考えると、正月(1月)には七草と同様に、素朴な風習の中だけに残っている“いにしえ”との接点を見つけ出せるキーワードが数多く残っているように感じています。
[0107 - 3355]
1月6日 仕事始め。正月休みが明けて日本が再起動する日です。
仕事初めの顔見せを済ませて、神田明神にお参りしているグループが目立つ神田明神へお参りに行ってきました。とはいっても、大混雑している中、落ち着いてお参り出来るわけもなく、結局は「勝守」の御札を交換しに行ったようなものですが。
実は、十数社訪れるのを常にしている僕にとってはこちらの初詣が一番の難関なんです。時間は掛かるし、一杯きこしめした人は多いし、通行規制も厳しいし……。
浅草寺のようにいつ行っても混んでいる所と違い、こちらは静かな佇まいを見せている普段との差が大きすぎて戸惑ってしまうんです。
つまり、僕は一年を通して混むのはこの数日と神田祭の時だけという所に例年飛び込んでいるわけです
お参りを済ませ、昨年の御札を納め、新しい御札をいただいたあとは御茶ノ水へ。初買いとばかりに文庫本を2冊ばかり手に入れました。
これで僕の正月も明けた、といいたいところですが、もう少しだけ正月気分でアイドリングさせてください。なにも一月いっぱいというわけじゃありませんから。
[0106 - 3354]
毎年お参りしているけれど、もう少し縁起について詳しく知りたくなって神社の縁起を読んで見ました。
祀られている宇賀之美多摩命(うがのみたまのみこと)と難しいやまとことばで表わすよりも、お稲荷さんとして親しまれている神様が祀られているこの神社は、本来の「穀物」の神が転じて「食」の神として慶長年間から祀られてきたけれど、その神社が今のような「商売繁盛・勝運」のご利益をいただけるようになったのは明暦年間から、ということのようです。
トレーダーなど株に関する職業の方たちの氏神様として限られた人しか訪れなかったこの神社を僕が知ったのは10年近く前。今のようにお参りの列が出来ることもなく、フラッ訪れて静かにお参り出来る小さな小さな神社でした。
ところで。
実は僕、この数年間どんな神社でおみくじをいただいても「大吉」が出たことがなかったのです。
こちらでは、おみくじが招き猫や干支を象った土人形のお腹に入っているものいただいてきましたが最高でも中吉でした。それがなんと今年は……。
大吉をいただいたのです。
「願い事のぞみのまま」「音信のなかった待ち人来る」「商い利益あり進んで吉」「学問安心して勉学せよ」「恋愛この人より他になし」「縁談多くて困ることあり静かに心を定めること」……。どうですか、13項目に渡ってすべて最高なんて文字通りびっくりです。ちなみに、僕には関係のない相場に関しても「今が最上、買え」ですからね。
ウフッ、ウフッ、ウフフ。─たかがおみくじ、されどおみくじ─。年のはじめからいいことありそうです。
[0105 - 3353]
三が日も過ぎ、少しは初詣の人出も落ち着いたはずと浅草寺と三社神社にお参りに出掛けました。
僕にとって本来なら年のはじめ一番にお参りすべきところだけど、あの大混雑だけは御免被りたいと思い4日にお参りに行くようになってから30数年。今年もこの日にお参りすることにしました。
観音様にお参りを済ませた後、三社様へ。時間を掛けてお参りした後は、回向堂に勢揃いした仏様と小さな祠に納められた大黒天や恵比寿様にもご挨拶を。例年通りの初詣を済ませました。
そんななかで気になったのが「日本語が聞こえてくる」という当たり前のようで当たり前でなくなってしまった事実でした。
世界各国の観光ガイド本やサイトで「東京観光で浅草寺は外せない」と紹介されている浅草寺が世界各国の言葉で溢れるようになってから数年経ちました。
インバウンドの人たちが増え始めた数年前は、中国語と英語がほとんどでしたが、今ではアジア各国の言葉はもちろんのこと、フランス語やスペイン語、そして何語か判らない言葉まであちらこちらから聞こえてくるのが当たり前になっているのですが、今日は様子が違っていました。
360度あらゆる角度から日本語が聞こえてくるんです!?
変な言い方ですよね。でもそうなんです。
なんと言っても初詣は日本を代表する風習のひとつ。初詣なんだから大混雑の浅草寺に行ってみようと考えている人が多くなるのは当然ですが、その結果、日本語の比率が非常に高くなり、外国語の比率が下がっているのではないかと僕は想像しています。
逆に言えば、普段は日本各地から訪れる人よりもインバウンドで訪れる人のほうが目立っているということになります。つまり、たとえ観光地化していても浅草寺に訪れる日本人がいかに少ないかを表していると考えてもいいわけです。
聞こえてくる言葉だけで「日本の社寺を訪れているのはインバウンドの人たちが中心」と極端な考え方はしたくありませんが、なんだか微妙な心境です。
今年の初詣は日本人にとって宗教上の拠り所とは何かを考えさせられてしまうものになってしまいました。
[0104 - 3352]
-0103-
そろそろ“油切れ”になってきたなあ。
おひとりさま生活が呆れるほど長くなった今でも、正月の食卓は雑煮とおせちでないと気が済まない僕。今夜も残り少なくなったおせちを摘みながら、大きめののし餅を3個入れた雑煮を食しました。
もちろん居付き猫たちにもかまぼこや数の子をおすそ分けしました。もう少しで自分の分まで取られそうになってしまいましたが、食卓に攻め入る彼らを払い除けながらかろうじて腹に収めました。
そして食後。どこかしら物足りないものを感じながら過ごしながら思い至ったのが例年出てくる“油切れ症状”でした。
年末に食べてしまったタラバの足が残っていればバターソテーにしたりカニコロにしたり出来たのにと悔やんでも後の祭り。正月用に買ったものを年末に食べちゃった報いがここに来て表面化してしまいました。
こうなると“油もの”か“ジャンクフード”で身体の内側から込み上げてくる叫びを押さえてやらないとどうしようもありません。
明日からの食生活は“残り物整理”と“油摂取”がキーワードになりそうです。
[3351]
ざっくりとした言い方ですが、風水を都市計画の基本にしていた徳川家康とそのブレーンの天界は、江戸城から見て鬼門に当たる日光に東照宮を建立し、自らが先頭に立って江戸の安泰を願ったと言われています。
江戸城から見て北東の方角が鬼門、その正反対に位置する南西方向が裏鬼門とされているのはご存知のとおりです。
昨年末、ある方から江戸時代から続く民間伝承で干支にも「表と裏の関係」があるということを教えていただきました。
──十二支を「子」を一番上にして時計回りに配置し、自分の干支と反対の位置にある干支が裏干支(向かい干支・逆さ干支)と呼び、自分の干支にはない部分を補いながら目の届かない後方の守りを高める。──
要はこういうことのようです。この伝承をもとにすれば今年の裏干支は「午」になります。ちなみに、仏教の守本尊を合わせてみると、「子年」の守本尊は千手観音菩薩。裏干支に当たる「午(うま)」の守本尊は勢至(せいし)菩薩ということになります。
こんな伝承を教えてもらってすぐの正月。七日正月までに十社寺以上にお参りに行くのを常としている僕としては、初詣巡りに出掛けるときに千手観音菩薩や勢至菩薩が祀られたお寺にも訪れるべきかどうか、ちょっとだけ悩みながらも、行くのを前提として探しています。
[3350]
明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願いいたします
干支が一巡して原点に戻った今年が心機一転の年になったり
「子(ね)」の力が財を増やしてくれたり……
今年が皆様にとって佳き年になりますように
[3349]
令和元年12月31日。あと数時間で令和元年は終わろうとしています。
振り返ってみると僕にとっての今年は、特に梅雨時以降、例年以上にドタバタアタフタするばかりで、空振り続きで終わってしまったように感じています。
来年こそ、やりがいのあることに腰を据えて取り組める年になってほしいと願っていますが、どうなることやら。
皆様、今年もお世話になりました。ありがとうございました。
来年が佳き年になりますようお祈りしています。
[3348]