∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

神田明神に初詣に行ってきた

つい先ほど、神田神社(明神)から帰ってきた。初詣である。
山門から続く列に並び、年が明けるのを約1時間ほど待って、ようやくその瞬間がやってきた。お寺ではないので除夜の鐘は響かないが、その分、淡々と新年の来るのを待っていた参拝客の間からカウントダウンが始まる。3、2、1、0。オオーという歓声と拍手が明神さまの周りに響く。その後ゆっくりと列が進み、大鳥居をくぐり抜け、山門から境内へ入る。それまでの静けさと違ってお囃しの音が響く境内を進んで先頭に来た。
二礼二拍手一礼というが、僕はそのしきたりに加えて、
『祓い給え 清め給え 神ながら守り給え 幸い給え』という祝詞と住んでいる地域、自分の名前を唱えた後、やっと『明けましておめでとうございます。旧年中は……、今年は……』という言葉にたどり着く。そのため、ほかの人たちよりもお参りに時間がかかる。迷惑なことは重々承知しているので、いつも列の左端(なぜか左端が居心地がいいのだ)に並び、ゆっくりと参拝させてもらう。
どこの神社でも同じだが、参拝した時の言葉は、神という名の精神的な支柱に対しての「決意表明」のようなもの。つまり、自分自身に対しての決意表明や意思確認の瞬間と言ってもいい。それも初詣となると、格別のものがある。
若い人たちは、初詣なのか朝まで遊ぶためなのか解らないようなスタンスだが、どうも年を重ねるとそうもいかない。正直なところ、身体がついていかないのだ。それでも行く。キーンと身体に染みこんでくるような寒さの中で参拝するのが、なぜか、心地良いのだ。
ということで、このブログを読んでくださっている皆様へ。
明けましておめでとうございます。旧年中はご支援ご鞭撻をいただき、ありがとうございました。
僕にとって今年が飛躍の年になりますように、そして皆様には幸多き年でありますように、ご祈念いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
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