【忙中閑有り】
秋の連休、最終日です。ゆっくり過ごしました。
このところ、気ぜわしくうろうろ動き回ることが続いていた僕にとって、この連休はまさに「休憩タイム」。すっかりボワーとしてしまいました。
こういうのを「忙中閑有り」というのでしょうか。
東洋思想の研究者であり、昭和の政治家の最高指南役でもあり、“平成”という年号の発案者でもあり、僕に『論語』の素晴らしさを教えてくださった女性の父上でもある、安岡正篤(やすおか まさひろ)氏の『安岡正篤 一日一言』の中では
忙中閑有り
忙中に掴んだものこそ本物の閑である。
苦中楽有り
苦中に掴んだ楽こそ本当の楽である。
※※
忙しい中に閑(ひま)を得られると嬉しいし、ひと時の閑を満喫できるのでしょう。
ずっと閑な人には、閑の価値はわからないのでしょう。
忙しい時ほど閑を見つけ、休息や遊びを楽しめるようになれるといいのではないでしょうか。」
と記されています。
この言葉通りに解釈すると、さほど忙しいと言えないのに忙しがっている僕の場合「閑のありがたさが分からない人間となるかもしれませんが、ともあれ、自分なりに「忙しがっていたのだからよしとする」ということにしておきましょう。
それよりも、今、僕は「苦中楽有り」の言葉の方が気にかかります。僕でも「本当の楽」を掴める日が来るのか、いや、呼び込むぞと、思わず決意を新たにしてしまいました。
【明日からは】
明日からは、またドタバタします。気を引き締めて、スケジュールを確認し、自分を忘れずに、いつも気持ちはゆったり、にっこりと、いつか来る日を信じて前向きに。そんな事を忘れずに邁進するしかない、ですね。
と、気を引き締めながらも、あと少しだけのんびりします。おやすみなさい。
[322/1000]