∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 峠はあと2~3日か ≡≡

成果より
先見性ある勇気ある決断を

 ちょうど桜が七部咲きになっていた3月20日~22日の3連休、ご存知のように日本は新型コロナウイルスへのガードを一旦下げました。そして今日、東京都は1日のウイルス感染者が118名確認され、そのうち81名は感染経路が不明と発表しました。
 一方、ここ2週間ほど大きな声で叫ばれてきた“緊急事態宣言”は今も出されず「その時が来れば躊躇なく出す」状態で留まっています。

──自粛要請が緩められた3連休の間、はしゃぎ過ぎたから感染者は増えたけれど、それ以後の“緊張感が増した自粛要請”で人の動きが急激に低下したおかげで、感染者は一気に減少傾向にシフトしたね──
 このように世論が形成されるようになればいいのですが、実際はどうでしょう。病気と同時に人々に蔓延している不安や恐怖や自己制御、あるいは経済的な危機といったストレスについてはどうでしょうか。

 いま日本は、自由な生活を望んでいる多くの人々が、自らに大きな制約を課すだけでなく、社会生活を復旧させるまでに長い時間が掛かるのも覚悟して緊急事態宣言を待ち望むという異常な状態に陥っています。
 もはや、その場しのぎと見られるような発言や対応や抑制された施策は逆に反発を招くだけに終わると言っても過言ではないと思います。

 たとえば給食マスクのように、2カ月前に決定し、ようやく形になったことだって過去の成果でしかなりません。ちなみに、厳しい制約を設けると言われている現金給付だって検討と警戒のし過ぎと酷評されるのではと想像しています。

 ──成果より先見性を感じられる勇気ある決断──。自己防衛以外何も出来ず、ある意味、手をこまねいて事の推移を見守ることしか出来ない市民が今施政者に望んでいるのは先見性と勇気です。
 10年後の経済予想は出来ても、明日のコロナ危機は予想できないなんてことはあってはならないことです。

 今、施政者に求められているのは“偏重し過ぎた成果主義”よりも、“危機感を内に秘めた勇気ある挑戦者”ではないでしょうか。

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