∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 贅沢の基準 ≡≡

自粛が変えるアフターコロナの生活

 あっちでウロウロ、こっちでキョロキョロと動き回る平日。ゴロゴロしようが、自分のペースで宿題を片付けようが、どんな時間の使い方をしても構わない週末。ちょっと間違えるとズルズルになりがちな居職の僕にとって週末は“けじめを付ける時間”でもありました。
 たとえ人さまが休んでいる間に仕事を片付けてしまうような宿題ウィークエンドだって、時計を気にせずマイペースで動けるものだったわけです。

 ところが自粛生活が続く中で変化が出てきたようです。

 外出は極力避ける。人とのコミュニケーションは電話やメールという「メディア」を使う。とにかく“非接触”に心掛ける。
 他人と物理的な距離を置く生活指針が当たり前になるにつれ、逆に、人と触れ合ったり、自由に動き回ったりしていたこれまでの生活がいかに贅沢なものだったのかと感じるようになってきたのです。

 前向きに考えた場合、いま我々はコロナと対峙し続けながらも“終戦後”を見渡す時期に差し掛かっていると言っても差し支えないと思います。
 そんな“アフターコロナ”は、コロナ、あるいは感染症と共存する時代になるはずだと考える方も増えているでしょう。
 “非接触時代”になった時、物理的な人との触れ合いはどう位置づけられるのか、メディアを介したコミュニケーションやバーチャル空間の捉え方がどこまで発達していくのか、高価なモノを持つよりも、人との直接的な接触のほうが贅沢だと感じる時代が来るのではないか……。
 どうも、この辺りに次代に乗り遅れないヒントが隠されているような気がしてきました。ビジネスもプライベートも、リアルな世界が「時代遅れ」と言われるような時代が来てしまうのでしょうか。

 そんなことを考えていると、なんだか寂しくなってきました。
 たとえ贅沢と言われても、人と手をつないで生きていく姿勢を大切にしておきたい、いや、それしかないと信じていていいですよね。

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