∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 3連休最終日 ≡≡

  f:id:Yutaka_TAWARA:20200904050901j:plain

コロナ禍は抑制と本能を試す病

 「我慢の連休をお願いしたい」。
 連休前に日本医師会から発表されたこの言葉は生まれてはじめて聞いたものだった。さすがコロナ禍。よほど医療の切迫を危惧したコメントと素直に受け取っていたが、世間様はそうではなかったようだ。

 「羨ましくもあり、心配でもあり」。心中複雑な気持ちで3連休最終日の夕方を迎えている。

 連休直前にGo Toキャンペーンの見直しを表明されても、いまさら予定は変更できない。気をつけて行くしかないだろうと考えた方が多かったのだろう、全国の観光地はつかの間の活況を呈したようだ。

 もともと遠出する予定などなかった私は年越し準備の買い物に出掛けた以外は地元で静かに過ごしていた。旅行に出掛けた人たちを羨ましく思いながらである。

 Go Toキャンペーン自体に問題があるかのような風潮が広がっているが、私はその図式に大きな疑問を持っている。
 一番の問題はキャンペーンを踏み台にして羽目を外したり、無邪気に開放感に浸ったりする姿勢にあるのではないだるか。

 ひょっとすると、「それいけ!」とか「ここは解放区だ!」などと日頃溜まっていた鬱積を開放させて、心のバランスを取ろうとする“ヒトの本能”を理性で抑え込まないとコロナ禍は生き抜けないのかもしれない。
 コロナ禍の抑制とヒトの本能のバランスを取るような行動様式を求められるとは、なんとも生き難い世の中になったものである。

[1123 - 3669]