「だからどうなのヨ?」ではなく
「人類の未来が切り開かれる」と
考える姿勢の大切さ
アメリカの火星探査機が無事火星に着陸したというニュースが飛び込んできた。計画通り、かつて火星に水があったとされる湖跡に着陸して生命体が存在したかどうかを探ることが目的というらしい。
さて、このミッションに素直に拍手して感動を伝えていいものかどうか。
有意義なことは分かる。最高のテクノロジーとインテリジェンスが融合しなければ実現しなかったミッションだということも分かる。おそらく使われたテクノロジーの一部が実生活に反映されるだろうということも分かる。未知のものを探索する研究心がいかに重要なことかということも理解しているつもりだ。それでも、一瞬ためらってしまったのだ。
そういえば、日本の小惑星探査機『はやぶさ2』が小惑星リュウグウで採取したサンプルを地球に持ち帰った時もそうだった。日本研究者や技術者の優秀さには感激したが、どこかピンとこなかったのだ。
なぜだろう。規模が大きすぎて理解の範囲を越えているからだろうか。それとも、目先のことに振り回され、人類の未来を切り開くことまで頭が回らないということなのだろうか。
そんな自分の姿勢を省みていたら、なぜか日本の科学政策のことが頭に浮かんできた。
日本の科学政策の基本は「目先の利益を生みそうにない研究」には研究費を出し渋ると言われている。
科学者の誰もが「基礎研究こそ未来を支えるもの」と言っているのにも関わらず、耳を貸さないその根幹には「理解の範囲を越えたものより、目先の利益計算がしやすいものを」という、いわば“庶民感覚”があるのではないだろうか。
官僚なのか政治家なのかは分からないが、科学者の思考回路を持ち合わせていない人たちにとって未来予測は不得意分野の最たるものかもしれない。せいぜい、他国の動向に合わせて“お付き合い程度”の予算組みするのが関の山だろう。
今回の火星探査機のミッションは庶民にとっては「だからどうなのヨ?」の課題に研究開発の道をひらくことの大切さを教えてくれているのかもしれない。
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