∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 初めての生パイナップル ≡≡

あの時から数十年経っても
沖縄人の心情を知ろうとしなかった
自分に課す課題

 幼かった頃、私はパイナップルという果物は最初から缶詰になっているものだと思っていた。ところが、父が出張土産に「緑色の葉っぱが付いた黄色くて楕円形の果物」を持ち帰ってきた。それが生パイナップルとの初めて出会いである。
 缶詰で味は知っていたが、初めて見る果物ということで盛り上がった後、母が切ってくれた。おそらく母にとっても初めての出会いだったはずだが、なんとか皮を削ぎ落として、食べられるよういしてくれたわけだ。
 輪切りだったのかどうかなど、切り方についてはすっかり忘れてしまったが、シロップ漬けになった缶詰のパイナップルのほうが甘く、酸味も少なく、柔らかくてスジ(繊維質)も少ないと感じたことだけは覚えている。

 沖縄に行くにパスポートが必要だった時代の話である。幼かった私には、アメリカ・ドルをどうやって調達したのかなどすべて無縁の世界だったし、沖縄がどういう存在なのかも知らなかった。もちろん、ドルが流通する前、沖縄の人たちが「B円」を使っていたという事実など知るよしもなかった。

 その後、自分自身が社会人になってからは沖縄に数回訪れている。
 行くたびにソーキそばを知り、A1ソースの酸味を知り、サーターアンダギーの美味しさを知り、熱帯魚のようなグルクンやミーバイに挑戦し、ぶくぶく茶を味わい……。沖縄で初めて知った食べ物はすべて物珍しく美味しいものだった。
 また、独特の色合いと意匠をもつ紅型や、島ごとに違う琉球紬の織柄に感動もしていた。
 そんな沖縄固有の文化に触れる一方で、子供の頃からアメリカン・カルチャーに憧れていた私は、至るところにアメリカン ウェイ オブ ライフが溢れているの眺めながら「アメリカに来たみたいだ」とワクワク、ドキドキもしていた。

 しかし、何度行っても沖縄の人が胸のうちに秘めている心情に触れることはなかった。きっと現地の人にとって私は「本土から来た一般人」としか見えなかったと思う。
 これまで私は、教科書や本で学んだこと以外、沖縄について深く考えたことはなかった。沖縄弁について知ろうと思ったことも一度もなかった。“ちむどんどん”が“ワクワクすること”だというのを知ったのもつい最近である。

 つまり私は、これまでの数十年、沖縄については歴史や政治や軍事の表面的なことしか知らなかったわけである。これから先、どれだけ沖縄人の心情を知ることが出来るのか。一生を終えるまでに私が気にかけるべき課題がまたひとつ増えたようだ。
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[season12/0516/25:20]
立夏』‥風薫り、夏の気配を感じ始める頃。菖蒲の節句。そら豆
photograph:ueno park, taito city
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