∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ よみがえれ、日常生活 ≡≡

「福男」復活は
コロナ禍に終止符を打とうとする
時代のアイコンのひとつ

えべっさんの福男が復活したで」。

 毎年、健脚自慢の若者たちが参拝一番乗りを競う「開門神事福男選び」で有名な兵庫県西宮市の西宮神社で3年ぶりにこの福男の神事が復活した。まっとうな神事なのに“深夜のダッシュ競争”のように思われている節もあるが、伝統的な神事の進化系である。

 実はこの西宮神社(西宮えびす)は私の親戚が住む所からほど近い場所にある。それだけに私も子供の頃から親しみを感じてきたし、コロナ禍という緊急事態とはいえ、副男の神事が中止されることになった時は「ここも中止か」と寂しく感じていた。

 そんな「西宮えびす」の神事が復活したのだ。「ダッシュ競争で誰が一番になったか」ということよりも、復活したこと自体、コロナ禍にも負けない気概を感じて妙に嬉しくなってしまった。

 やはり、当たり前だと信じていた行事が、コロナ禍の危機感を跳ね飛ばして復活するのは嬉しいものだ。

 私が住む東京下町にも中止されたままの行事がいくつもある。有名なところでいえば、例年数十万人が集まる「隅田川の花火大会」がある。あれだけ多くの人々が集まる行事なので、さすがに中止やむなしと諦めているが、それでも「花火の復活」がコロナ禍に終止符を打つ“時代のアイコン”になるはずと信じている。
 花火大会だけではない。誰もが外さなくなった不織布マスクは言うまでもなく、小学生が給食の際いまだに続けている「黙食」もそうだ。消極的な通達とはいえ、国がコロナ対策から外したというのに、子供たちはいまだに黙って食べて、黙って片付ける作業を続けている。

 緊急措置が定着しないことこそ、コロナ禍を“歴史に残る教訓”として位置づけるためには不可欠だ。
 コロナ禍の第八波真っ只中にいるとはいえ、当たり前だと信じていた暮らしができるようになるには“復活”がなによりの起爆剤だが、この願いが実現するのはいつになるのだろう。隠れ感染者が増えるリスクと当たり前の日常生活の復活。どちらを選択するべきなんだろう。
 無謀かもしれないが、私は当たり前の日常生活を選びたい。
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[season13┃10 Jan. 2023┃12:20 JST
KAN-BOTAN(WINTER PEONY):
ueno botan-en, ueno toshogu, taito city
Photographed on 28 Jan. 2022