∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ あれから28年 ≡≡

祈りを捧げつつ
決意新たに未来を築く
神戸よ、永遠に

 1995年1月17日5時46分。神戸を中心とする阪神・淡路一帯は未曾有の大地震に襲われた。関連死を含めた死亡者数は6434人。私の祖母や母のようにPTSDに悩まされながらも生き抜いたものの死期を早めてしまった、関連死と認められなかった人も入れると数え切れないほどの命が奪われた。
 至るところでランドマークになっていたビルが倒壊し、古くからの住宅街のなかには一面が火の手に包まれた地域もあった。高速道路も鉄道も高架になっている箇所は崩れ落ち通行どころか、近隣の建物まで倒壊させた。道路には亀裂が入り、その上には瓦礫が覆い被さっていた。

 神戸に住んでいた母からは地震直後の6時過ぎに「地震や、どうしよう」という電話があったが、その後、電話は不通になった。報道機関が事態を把握することも出来なかった時点のこと、東京で暮らしていた私は何がどうなったのかとヤキモキしながらも、情報が入ってくることを期待するしかなかった。

阪神淡路大震災

 あれから28年経ち、想像を絶する経験を乗り越えて神戸は復興を遂げたが、人々の記憶の奥底には今も痛みや苦しみや悲しみが残り、その傷痕が消えることはない。
 あの地震を経験した人々にとって、命を失った人々に祈りを捧げつつ、生かされた命に感謝を捧げ、前向きに生きる活力を改めて確認する日が今年もやってきた。
 1月17日。今日は、快適な暮らしや繁栄を取り戻すために力を注ぎ続けて混乱を乗り越えた神戸の人々が、ある種の“原点”に戻る日と言ってもいい。

 改めて、命を失った人々には敬虔な祈りを捧げ、復興を成し遂げた人々には最大級の敬意を払いたい。

合掌

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[season13┃1・17. 2023┃11:50 JST
:PORT of KOBE:view from Mt.nagamine, kobe city
Photographed on 04 Apr. 2022